日々雑駁

 27日に異業種交流の飲み会に行くと、当初の予定33人の筈が12人になっていた。在宅勤務、ないし出社や宴会への出席禁止の指令が出たためという。出席者の中にも明日から在宅勤務という人が数人いた。業態にもよるが、製造業の場合工場は操業を続けるわけだから、差別的な措置であるとの印象を拭えない。わたしの勤める会社も通勤時の混雑を避けるため時差出勤を認めるという方針を出したが、その手続きが面倒なのでわたしは通常の勤務のままである。歳をとると、フレキシブルにするよりいつも通りの方が疲れなくていいのである。テレワークについては、IT関係の整備が遅れているため、まずPCを持ち帰るのにハードルがあり、さらに在宅でやるには会社のサーバーやイントラにアクセスできなければ仕事にならないので、この会社でテレワークが可能になるのは何十年か先のことになるだろう。一方で、多くの会社が在宅や出社禁止をしてくれれば、通常の通勤時間帯がかえって空いて良いのではないかとも思っている。

 今日は東博に「出雲と大和」展と文徴明展を観に行くつもりだったのだが、すでに休館となっていることを昨日知った。その後に予定されていた大学時代の先輩が地方から出張で上京するのに合わせて設定されていた会食も、出張自体がなくなることで自然と中止となった。そのほか、来週予定されていた小学校のクラス会も中止、今年は都合がつかずに欠席の予定でいた明暗寺の如道忌も中止だという。来週の夜に予定していた会食でも、高齢の方から普段外に出ていないので今回は辞退との連絡が入った。

 楽しみにしていた予定がなくなるのは、言ってみれば+がなくなるだけなのだが、心情的には-(マイナス)に感じられる。右に倣えや、同調、忖度の嫌いな天邪鬼な性格のわたしには、世間のこうした動きは苦々しいものにしか思えないし、「今のご時勢だから従うよりほかない」という極めて日本人的な反応こそが、アジア太平洋戦争時の日本を泥沼化させた元凶のひとつでもあるから、わたしは心の底から嫌なものを感じるのである。昭和末期の「自粛ムード」は、その頃海外勤務だったので実感としては知らない。インターネットもない時代で、日本の新聞の海外版ぐらいしか情報がなかったからだが、それでも異様な雰囲気であることが感じられた。何でもかんでも中止や自粛という風潮に、わたしは馴染めないし、あえてライブを決行する椎名林檎喝采を送りたくなる、というか喝采するのではなく、それが当然くらいの気持ちでいたい。

 余計なお世話だと思うが、今回の騒ぎでコロナビールの売り上げが落ちていないか心配である。この前の飲み会でも、コロナビールがあったら頼もうと思っていたのだが、置いていなかった。

 昨日はまた二月最終日で、何故か三月末のように退社と転勤がいくつかあった。退社する女性の方は挨拶に来てくれたのだが、大阪に転勤になる女性の方は、わたしが街歩きなどに連れ歩いたり飲みに行ったりと結構可愛がっていたつもりなのだが、挨拶もなかった。そう言えばその女性と同期で辞めて行ったふたりも挨拶には来なかったから、最近の若い娘はおじさんに対してはそんなものなのだろうとみずからを納得させながら、それでもちょっと寂しい。

 そんなこんなで、コロナより花粉で苦しむこの時期のわたしはまったく気分が冴えない。予定がなくなって、自由な時間が増えたのだから執筆に勤しめばいいのだが、何だか気が抜けたようになって今ひとつ集中出来ないでいる。