生誕110年

十二月十二日(木)晴
今日は小津安二郎監督の生誕百十周年、没後五十年の當日である。即ち誕生日と逝去の日が同じといふことになる。かういふ例は有名な人に多いらしい。此の日を祝つてグーグルの入り口が『東京物語』の有名なシーンをイラスト化したものになつてゐて、中々氣が利いてゐた。神保町シアターでは『東京物語』の上映に合せ香川京子さんも來場するとのことで是非駆けつけたかつたのだが果たせなかつた。昨日はギヤオで『小津と語る』といふ映畫を観た。二十年前の生誕九十年の際に作られたもので、ヴエンダースや侯孝賢がまだ若く、余も丁度其の頃小津映畫を観始めた事を思へば、自分も若かつたのだらう。小津の素晴らしさや其の影響を語るアキ・カウリスマキら映畫人たちの語り口に、改めて初めて観た頃の感動が蘇るやうな氣がした。考へればあつといふ間の二十年であり、其の間に余は小津に描かれる家族よりも余程激しい變轉を經験した訳だが、過ぎ去つてしまへば、映畫と同じやうに切なくも幸せな日々であつたと憶はれる。さう、此の二十年の間に余は實に三つの家庭を經たのであるが、其の時々に、『東京物語』のやうな稠密な時間が流れることもあり、『浮き草』や『早春』のやうないざこざもあつた。『晩春』の笠智衆のやうな日は來るべくもないが、此の先は『麥秋』のラストで暗示される大和での安らかな晩年の日々の如き、少しは落ち着いた日々を送れるのであらうか。