横櫛と宝石

三月十五日(土)晴
余は縮緬の縞の着物に茶の帯、家人は大島に刺繍の入つた博多帯にて九時半出発。電車を乘り繼ぎ半蔵門に至り、徒歩國立劇場に十一時過ぎ到着。チケツトセンターにてチケツトを発券して大劇場に入る。晝食を早めにとり、十二時より三月歌舞伎公演を観劇。演目は『菅原傳授手習鑑』より吉田社頭車引の場と『處女翫浮名横櫛』二幕六場である。後者は通称「切られお富」で知られる河竹黙阿弥の作。甲斐庄楠音の畫『横櫛』を廻るモデルの問題を探究してゐて、初めて「横櫛」と言へば此の歌舞伎のこと、或はお富を指すことを知り、興味を持つたところ何の縁か其の演目が掛ることを知つて早速に予約し、前から五列目劇場ほぼ中央といふ一等A席を大奮発したのである。
車引の方は歌舞伎らしい所作の触りを見せる前座のやうなものなのであらう。物珍しくはあつたが、あれなら文樂の方がストイツクな迫力が出るやうな氣がした。逆に『横櫛』は科白回しの近代性もあるのか、矢張り歌舞伎の台本として書かれただけあつて、文樂にはなりさうにない。そして、實際予想以上に芝居として面白く観た。歌舞伎はどちらかといふと嫌ひな方で、世の歌舞伎好きを多少煙たく思ふ程であつたが、今後は演目によつては観てみる氣になるかも知れぬ。もつとも今囘が歌舞伎座ではなく國立劇場であつたことが観劇へと後押ししたこともある。ミーハーで観に行くのではないといふ態度を持したかつたのである。
とは言へ、今囘は百年以上前に甲斐庄楠音とその嫂(あによめ)の彦が澤村源之助のお富を一緒に観て、其の夜お富の真似をした彦の姿を描いたのが『横櫛』であることを知つた上で、彦が何を感じただらうかと絶へず推量しながらの観劇であつたから、ある意味で二重の面白さを感じてゐたことは事實である。さういふ部分を割引くと、お富はともかく、女郎役の女形など薄氣味悪いばかりだし、所作もわざとらしくて白けるので、これで俄かに歌舞伎フアンになるといふことはなささうだ。
三時十分過ぎ終演となり、地下鐡で銀座に出て家人の知人の宝飾デザイナーの個展を見に行く。五十代後半なのだらうが若々しく社交的で中々魅力的な女性にて、珈琲を頂戴しながら色々話す。今度羽織紐用に宝石をあしらつたものをデザインして作つてもらふことになつた。其れから有樂町までの途上何軒かの店を覗いた後京濱東北線で歸宅。着物を脱いで直ぐに嶺庵に直行し、二尺一寸を八時まで吹く。