事実誤認

四月二十四日(月)晴
大学教授であり評論家でもあるJ先生が、あるマスコミの一団を名指しで批判した。低調で愚劣、おまけに欺瞞だらけと言うのである。批判された連中はJ先生の粗を探すのに躍起となり、とうとうJ先生が昔書いた文章の中で戦時中の早大での空襲死者四名と書いたものが、裏を取らずに書いたものと見えて間違っていたことを暴露するに至った。しかも、暴力団まがいの連中が押しかけて来るのでJ先生は逃亡するはめになり、山村にある若夫婦のやっている魚屋に匿ってもらったりしている。そうこうするうち、連中と白黒をはっきりさせる機会を持つことになり、あの日J先生も早大構内にいて空襲警報が鳴り一時は防空壕に逃げ込んだものの、戸山町の老父のことが心配となって防空壕から出たところ、その隙間に焼夷弾が入り込んで被災者が出たことを話す。そして、死亡した人の数を四人と書いたのは、自分の過失ともとれる責任感とショックにより確認できなかったので、そこに居る敵方のボスでかつての級友である老人が言った数字を鵜呑みにしたにすぎないことを告げる。そして、防空壕の中に憧れの女性がいたために、安否を確認することが怖くてできなかったことを話すと敵方にも動揺が走り、向こうのボスを悪者視する空気が流れ始める。するとその時、魚屋の若女将がその女性が助かってその後も生きていることを告げたので、一同ほっとしたような嬉しいような気分になるのであった。