奢りの驕り

 数年前パリに行ったとき、現地法人の社長になった会社の後輩と食事をした。凱旋門に近いフランス料理の店で、接待に使うのか、なかなか美味しかった。その時彼はご馳走してくれた。会社の経費だろうが、とにかく私にお金を払わせなかった。私は、こちらでご馳走しないまでも、割り勘がいいと思っていたが、いいというので出させてしまったのである。これは、後からよくよく考えてみると嬉しくない仕打ちであった。すなわち、自分で金を出してまでは会いたくない、ということの意思表明にほかならないからである。私としては、旅行のついでに、パリに転勤になった後輩に会おうと思っただけで、たかろうと思っていたわけではない。それを、ご馳走して貰おうと声を掛けてきたと解釈したのか、少なくとも断れないから応じたという感じがあり、現在の彼の決裁能力を示すことで、立場上の力関係を見せつけたことにもなり、結果として嫌な感じが残った。もちろん、その後はパリに行ってもこの後輩と会うことはしていない。意図は伝わったということで、その意味で彼の成功である。まるで京都人のようなやり口である。慇懃に体よく拒絶された訳だ。私にも、やっと言動の陰にある意図が、少しは汲み取れるようになったもののようである。