転覆船

カッターのような船にひとりで乗っている。会社の連中は先を行く小型船に乗り込んでいたのだが、私だけ用事があって乗り遅れたのである。私の乗る船は私の意志で動くもののようで、先を行く船を追いかけている。海上は交通量が多く、二三度危うく衝突しそうになるのをうまく左旋回して避けて進む。港が近くなって、何故か岸の方から大きな波が来て、先を行く同僚の乗る小型船が呑み込まれて転覆してしまう。あっと思う間もなく波は私の方に押し寄せ、私のカヌーも転覆するが、水中で回転して何とかもとに戻し、どうにか岸に辿り着く。水を飲んだのか少し苦しく、息も絶え絶えに砂浜から堤防のようなものをやっとのことで越えて、そこに敷かれた筵の上にへたりこむ。私は船を放棄して来たようで、すでに姿が見えず、こういう場合だから責任は問われないだろうと思う。それにしても同僚が心配である。IさんやOが乗っていたはずだと思うと、たまらない気持ちになる。その一方で乗り遅れてラッキーだったとも思う。転覆に気づいていないのか、港の脇にある旅館は静かである。やっと、目撃していた人がそのガラス窓を叩いて知らせる。私も立ち上がって大きな声で人を呼び、自分も港の方に戻ることにした。すると、今回会社の連中を乗せる小型船をチャーターした責任者であるM山がいる。そして、今回安くあげるために非正規の船を雇ったことを会社に非難されることを恐れて、到着時間の書かれた黒板の字を修正しようとしている。相変わらずの無責任ぶりに驚くが、海はまだ荒れていて助ける術がないのか皆ただ心配そうに岸壁の高いところから海を見下ろすのみである。岸には丸太が何本も打ちつけていた。私は齋藤幹太に別の船で来たから自分は助かったことを告げる。それから堤防伝いにヨットハーバーの方まで行くと、Aが上がって来るのが見えた。助かったのである。彼女は昔のままのように可愛らしい顔立ちで、まだ二十歳過ぎくらいに見える。服が少しも濡れていないのは不自然だったが、それは私も同じであった。私は無事を喜び、両手を広げて迎えると、彼女はYさんが助けてくれたので組合の資料を完成することが出来たという。見ると、議事進行のマニュアルのようなものであった。私はとにかく助かって良かったと言って、彼女の手を取って旅館の方に戻ろうとする。最初は躊躇い勝ちだった彼女が、やがて私の手をしっかりと握ってくれるのが嬉しかった。私は黒い皮の手袋を嵌めていた。