断捨離

齢六十を過ぎたこともあり、身辺整理というほどでもないが、家の中のものを減らそうと思い立ち、昨年の末から多くのものを捨て始めた。粗大ごみを持ち込めるストックヤードに何度通ったことか。本棚もふたつ解体し、その分の本も処分した。画集なども一部は捨てた。エロティシズムやエロティックアート、性に関する本はほぼ根こそぎ売り払った。リビングの大きなサイドボードとチェストひとつ、着物を入れる桐箪笥ひとつと衣装ケース3つも捨てた。中に入っていた着物や衣類ももちろん処分である。それから邪魔になっていたコーヒーテーブルと飾り棚として使っていたローボード、椅子も4脚捨てた。机と袖机も処分、ただし机は買い換えた。デンマーク製のチーク材を使ったビンテージもので、家具屋で見て一目惚れで購入を決めた。わたしは書斎の机を壁際ではなく真ん中に置いているが、この机は座る面の反対側が本棚になっていて気に入ったのである。壁際、ないし窓際に置いてしまうと意味はないが、欧米風に机を部屋の真ん中に置けばとても便利である。

また、和室の文机と本棚ひとつは家内の実家に移した。電気ストーブと石油ストーブをそれぞれ1台ずつ捨て、電子レンジと炊飯器、掃除機もそれぞれひとつ捨てた。布団やシーツの類も泊り客一人分を除いて全部捨てた。古い写真も選別した上だがだいぶ捨てた。アルバムごと捨てたものもある。ガーメントバッグや鞄、ブーツや靴もいくつか捨てた。花瓶もだいぶ捨てた。

お蔭で、狭い家ながらだいぶ空間に余裕ができて、ストレスが減ったように思う。どこに何があるか前より把握しやすくなったし、余計なものがないというのは気持ちのいいものである。特にリビングは余計なものがなくなって床面が増え、そうなると少し塵が落ちていても気になるのですぐにダイソンの掃除機をかけるようになり、いつも奇麗になった。前はものが多くて、そのものの角や縁に埃が溜まっていても見て見ぬふりをしていたのと大違いである。捨ててみて、確かにない方が心地よく暮らせることを知って、よりものを捨てたくなる。本も、今の半分ぐらいに減らせたら相当快適になるだろうとは思うが、要らないと思うものは一応選び出して処分した後だけに、これはなかなか進まない。ただ、一冊買ったら二冊処分するよう心掛けてはいる。

ただ、捨てただけではなく、家具を買ってはいる。捨てた家具はアメリカ時代に買ったものや、帰国後の借家時代に買い揃えたもので、今の家に合わせたものではないから、大きさや配置がうまく合わずにデッドスペースが多かった。それで今回は今の家の寸法に合わせてレイアウトをきっちり想定して探しだしたので収まりがよく、前ほど圧迫感がない。机を買って以来、チーク材のビンテージ家具が気に入ってしまい、もともとダイニングテーブルと椅子もチークのビンテージ品だったこともあり、シェルフやキャビネット、それにソファもデンマークのミッドセンチュリーのチーク材ビンテージもので揃えることにした。かなりの散財になったが、残り少ない時間を少しでも快適に過ごしたいという思いから、少しずつ買い揃えるのではなく、一気に買ってしまったのである。いわゆる「おうち時間」が増え、家具や家のものにお金を使うという、一般的な消費傾向に沿った行動かも知れない。

ひとつ残念だったのは、リビングをそうしたテイストでまとめるため、それまでリビングに置いていたものを和室に移し、茶室兼和の書斎として使っていた部屋が、単なる和室になってしまったことである。床の間も掛け軸をかけるスペースもなくなり、桐の箪笥と李朝風のチェスト、それに唐木の飾り棚、そして文机の代りに買った小さなウォールナットの机の並ぶ、普通の部屋になってしまった。ところが、これはこれで、どこか昭和を感じさせて懐かしく、居心地のいい空間になったのは意外であった。気取った茶室風は、本来性に合わなかったのかも知れない。

書斎はというと、机の大きさはほとんど変わらないのに、前より広く使いやすく感じる。本棚を減らして圧迫感が減ったのと、邪魔な袖机がなくなったこともあるが、机の色が黒からチークに変わったことも大きいかも知れない。これで在宅勤務もさらに快適にこなすことができる。少し前になるがモニターも新しくして、自分のPCと会社のPCを同時につないで画面を切り替えられるようにして、いちいちコードを繋ぎ換えなくてすむので便利になった。

オミクロン感染の拡大で今は在宅週2だが、会社に二週間で3回くらい行けば十分ではないかと思う。在宅が増えれば家で過ごす時間が増えるのだから、家の中を少しでも快適な空間にしようとするのは自然な勢いではないだろうか。