十有余年

 二度目の離婚をしてからもう十三年になる。2009年の2月にひさしぶりにひとりで暮らすようになって、仏道が身近になったこともあるが、坐禅からはじめて室町以降の日本文化の粋に触れたいという気になったこともあり、とにかく「和」のものを好むようになった。香道、茶道、立花、和歌、連歌、そして尺八に回帰することによって三弦を中心とした日本の音曲にも親しむようになった。文楽から宮園節、新内まで。浪花節や講談まで聴いた。書道も再開し、文房四宝に凝りはじめ、禅寺の庭を見て歩くようになった。琳派の絵や山水画を好み、着物を着るようになって和装には相当凝ってたくさん着物や帯、草履などを買った。日本酒ばかり呑み、酒器もたくさん買い揃えた。茶道具、香木は言わずもがなである。この時期を自分では「和浸り」の時代と云う。それが数年前から「和疲れ」となり、さらに嵩じて「和嫌い」を経て「和こりごり」にまで進んだ。茶室のように使っていた三畳の畳の部屋(嶺庵)の床の間をなくし、箪笥などを置いて結局納戸のようにしてしまった。文机も処分した。生活スタイルもすっかり西洋風に戻し、ワインばかり飲むようになった。その果てに家具もすっかり入れ替えてしまった。そこまで進むと、また逆行しだすのがわたしのいつものパターンである。

 とはいえ、最近では洋の東西を問わず、良いものは良いし、好きなものは和だからでも洋だからでもないことがやっとわかりはじめた。ワインも日本酒もビールもウィスキーも、その時々の気分や料理によって何でも飲むようになっている。要するに、和漢洋のいいとこどりが一番だと思うようになった。これはまあ、誰しもがやっている当然のことだろう。どちらかに偏る方がおかしいのである。十三年を経て、やっとバランスをとり戻したということであろう。それには今の妻の献身が大きく作用していると思う。「和」の香道を通じて知り合ったものの、2015年に一緒にヨーロッパを周遊したことが、結構今の生活に大きく作用しているようにも思う。穏やかでバランスのとれた生活が一番だと、今は心からそう思うのである。