疲離嫌

 守破離ならぬ疲離嫌である。言うまでもなく「和」の事である。音曲、書、絵画、茶、花、香、食、酒、着物、住、骨董、詩歌その他諸々、ここ十年くらいずっと「和」を好み、実践して来た。ところが、令和になったからという訳ではないにせよ、ここに来て和に疲れ、和から離れ、そして和が嫌いになって来た。和食はほとんど口にしなくなったし、日本酒は飲まず、和装をすることも面倒である。とにかく、和風が鼻について来たのである。そして何より、和の象徴といっていい京都が嫌いになったというのが大きい。少なくとも、外国人観光客を意識した和の押し売りにはうんざりという気がしているし、嘘くさい皮相な和のものに我慢がならない。観光地で見かける派手で安っぽい、日本人の繊細な美意識を捨ててしまったとしか思えない若い女たちの着物姿も嫌いだし、ましてや、胸の薄い若い男たちのだらしない着流しの姿も見たくない。書の和様はもともと好きではなかったが、今の自民党政権の安っぽい愛国心高揚策による和の大安売りには殺意すら覚える。すでにある元号だが、多くの人が忖度して再び「安和」、すなわち安部の和、安っぽい和になった方が、却って笑えて良かったかも知れない。和疲れから和離れに、そして和嫌いへと、わたしの平成も随分と振り切ったものだ。平らに成るのと真逆であり、天邪鬼の面目躍如というべきか。令に背いて和から洋に、これからの時代、わたしはひとり孤独に背洋、すなわち背水の陣が続くのかも知れぬ。