京都学派

末木文美士の『近代日本と仏教』を拾ひ読みしてゐる。流石に『日本仏教史』や『日本宗教史』の著者だけあつて、学説や論評を概観といふか俯瞰的に捉えるのが上手く、わたしのやうな初学者には示唆に富んでゐて有難い。中に京都学派について書かれたものがあつて、ちよつと興味深かつたので記してをく。

まず、京都学派と言へばその総帥として西田幾多郎を置くのは当然としても、どの範囲までを其の学派に入れるかについては意見が分かれるやうだ。田辺元を後継者とするのは共通するが、他の西田の弟子の世代については要するに「学派」なるものの定義によるのである。さらに、和辻哲郎九鬼周造など西田の弟子ではない京都大学哲学科の教授連も京都学派とされることがある。最も狭義では、西田の影響を受けて、かつ戦争中に戦争に対して積極的な意味を与えた人たちを指すといふ。之に入るのが高坂正顕高山岩男西谷啓治らである。其の他では一般に下村寅太郎久松真一、それに上田閑照などが京都学派と捉へられることが多い。
問題は、西田本人を含め禅の影響を受けた人が多いことと、先に出て来たやうに第二次世界大戦中の戦争乃至国体への協力である。これは正に『禅と戦争』や明治期の佛教界の戦争協力、報国態勢とも通じる問題で、海外の日本思想や社会思想の研究者からの関心も高いやうだ。禅そのものの中に戦争に対する親和性のやうなものがあるのか、それとも明治初期の廃仏毀釈後に恐らく根底から自己改革を求められた佛教諸宗の歴史的状況が、皇国との一体化を促進せざるを得なかつたのかを見極めたいといふのがわたしの当面の興味なので、かうした京都学派の哲学者が当時の社会や思想界にどのやうなインパクトを持ち得たのかは詳しく知りたいところである。予感ではあるが、其れにはだうも海外の研究成果を当たつた方が近道であるやうな気もしてゐる。
ところで、海外の研究者から京都学派のビツグスリーに目されてゐるのは西田、田辺と西谷啓治だといふ。西谷についてはちよつと意外な感じがするが、ドイツに留学して欧米の哲学史を前提としそれらを踏まえて論述してゐるために欧米の研究者には理解しやすいのだと言ふ。西谷も禅に対する関心が強く禅に関する著作もある上に、戦争にも協力的であつたから、研究対象として丁度よいのであらう。
面白いのは、西田にしても田辺や西谷、そして久松、上田といつた人々は、欧米では佛教哲学者として認知されることが多いといふことだ。ところが、逆に欧米の佛教学者からは、彼らは「恣意的に選び出した仏教思想を、実存哲学おドイツ観念論と混合させる、度を越えた折衷主義者」と見做されてをり、言はれてみればその通りのやうな気もするが、彼我の評価の違ひには驚かざるを得ない。
わたしとしては禅の思想や坐禅が彼らの思想に与へた影響を知りたいのだが、其の為には禅学とドイツ哲学の両方に通じた上で彼らの著作に取組まねばならない事になつて、とても手に負へさうにない。直に当るのではなく、さうした主題を扱つた研究書を渉猟するより他はなさそうである。