文楽と香席

九月八日(木)晴 日差し強く日向は暑しと雖もからつとした天気也
十時前半蔵門の駅でN子と待合せ、倶に国立劇場に向ふ。着物のN子と手をつないで劇場横を歩いてゐたら、今回の観劇の会を主催するNさんやKさんに見つかり冷やかされる。会の受付が外とは思はなかつたので油断してゐたのである。
十時半より文楽九月公演を観る。演目は下記の通り。
寿式三番叟
伽羅先代萩−御殿の段
近頃河原の逢引−堀川猿回しの段
久しぶりの文楽だが、今回は舞ひや踊り、猿回しなどもあつて、世話物の悲壮感とは別の文字通りの「見る楽しみ」も多く面白かつた。伽羅先代萩で乳母政岡が米を研いで食事の用意をする処や堀川猿回しの段では兄与次郎の飯を喰ふところなどそれだけで見とれる人形遣ひの面白さがあり、生身の人間が同じことをするより面白く感じるかうした感覚は、プラモデルや模型など小さなものを愛玩する気持ちに通ずるものがあることを実感した。本物あつての模型や人形なのに、それらが旨く出来てゐると本物を見るより楽しくなつてくるのである。凝視できる快楽とでも言ふものもあるのかも知れぬ。
二時半過ぎ終演となり、隣のホテルの一室で豊竹咲甫大夫を講師に迎へての文楽鑑賞講座を聞く。断片的な知識であつたものがつながつた感じで興味深く聞く。四時過ぎに其れも終はり、夕方に会ふ筈だつたA氏に電話を入れて予定より早く終つたので早く会へないかと聞くと一番町にゐるから近くまで来てくれといふので半蔵門駅の南の出口の端から北の端まで歩く格好で一番町に行き、近くのカフエで待つこと暫しにて電話が入り、前に一度勉強会で行つたことのあるマンシオン最上階を占めるK氏邸に上る。着いて早々ほんの少し前にK家の慶応義塾に在籍中の御曹司が司法試験に合格した知らせが入つたことをAから聞き、お祝ひを申し上げるに、K夫人の喜びひと方ならず。一方でN子と余との結婚に対するお祝ひの詞も頂戴す。暫し雑談の後五時過ぎにK氏邸を辞し、Aと三人で近くの鳥屋に行く。
此処で改めてN子と余の婚姻に到る経緯についてAに報告す。抑々余をN子に引き会はせたのはAにて、其の後多忙のAと顔を合せることもなく事態が進展した為時機を逸して報告が遅れたのだが、聞いてもAは大して驚きもせず。予想された展開だつたらしい。
絶品の焼き鳥を食して六時半に店を後にし地下鉄で神宮前に出で、徒歩妙喜庵に到る。此処でも丁度他に生徒もゐなかつたので先生に結婚を報告。此方も驚かず。七時過ぎより香炉作りの稽古。八時より香席。九時半終了後N子A氏と渋谷まで同道して袂を別つ。電車のタイミング良く十一時過ぎ帰宅。直ちに就寝。