つけ麺と摂関政治

二月十日(金)晴
用向きがあつて秋葉原に往き、徒歩某協会に至り会議に出席。昼前に終り、駅近くまで戻り昭和通り口に近い煎餅屋柏屋にて煎餅数種を購ふ。此処のえび煎は絶品で此の辺りに来ることがあると必ず寄る。其の後書泉グランデにて岩波新書講談社学術文庫計五点を購ふに、午前中の手当て五千円を既に使ひ切る。さらに駅近くのそば屋に入りつけ麺を食す。
外出してひとりで食事をするとなると、わたしの場合何故かつけ麺が多い。何とはなしに好きだつたのだが、今日その理由がわかつた。まず、皿に載せられて艶々と光る中華そばの麺が、如何にも裸体を晒してゐるやうな羞恥を感じさせてくれる。普通の拉麺が、混浴の温泉で裸体とはいへ湯に浸かつた姿でゐるのに対し、こちらは湯から上がつた姿を凝視されて恥じらふやうな風情がある。しかも、それがほんの少しつけ汁の中で弄ばれて、すぐにつるつと食べられてしまふところなど極めてエロテイツクではないか。つる、ずずつと啜る際に口から汁が飛びがちなのは、これはもう卑猥といふより他はない。其の喉越しや口腔内の食感とともに、つけ麺とは極めて官能的な食べ物なのだと初めて気がついた午後であつた。
其の後朝から妙に寒気がして喉が痛んでゐたこともあり、何もせずに家に帰つて寝た。夕方アマゾンから古本で買つた『一条天皇』(倉本一宏著吉川弘文館人物叢書)が届く。現在同氏が現代語訳をした『権記』を読んでゐて、今日秋葉原で買つた本も摂関政治院政期についての本が殆どである。一条帝下の一面華やかに見える宮廷文化の裏側で古代律令制は確実に腐乱の度合を増し、地方では武家が実力を伸ばして行く時代である。そんな中能吏藤原行成の多忙を極める政務の様子が『権記』からは窺がへて興味は尽きない。当時の受領経験のない、従つて平安京周辺以外の土地を知らない中央貴族公卿にとつて、地方や武士団とは、或は日本といふ国はどのやうなものとして意識されイメージされてゐたのであらうか。
源氏物語大鏡といつた、国文系の人の読むものからわれわれは此の時代の様相を捉へて来た。日本史の中でもあまり目立つた激動がない分、歴史の専門家の深堀もあまりされてゐなかつたやうで、歴史学の人たちが此の時代を本当に研究し始めたのはここ三十年くらゐのことらしく、それ故今まで人々が漠然と思ひ描いてゐた摂関政治といふものと其の実態との間には、実は大きなズレのあることが最近になつてようやく明らかにされて来たのである。其の前提となるのが、『御堂関白記』や『権記』などの当時の貴族の日記がテクストとして刊行され、研究者が手軽に読めるやうになつたことだといふ。講談社学術文庫の倉本氏のそれらの現代語訳は、さうした研究の成果を専門家のレベルだけでなく一般読者にまで浸透させることに大いに貢献してゐると思ふ。