基督教

九月四日(火)陰
『ヴイルヘルム・マイスターの修業時代』中巻讀了。名高い第六巻「美わしき魂の告白」は殘念ながら退屈なだけであつた。基督教に對する興味を失つた余の如き者には、神への恭順も純潔も鼻白むばかりである。さう言へば此の本を中年以降になつて讀むと好いと言つた三谷隆正は敬虔な基督教徒であつた。教養主義のモチーフの一つが西欧文化の讀解と理解にあつたとすれば、基督教が其の射程に入るのは當然であるにしても、旧制高校生のすべてが基督教に改宗した訳ではない中で、彼らがかうした文章にどのように「教養主義的に」感動したりしたものか知りたい氣もする。此処で魂の告白をした気高く神への愛に生きる女性よりも、美や演劇や、戀愛や女性に對する憧れと情熱に生きる主人公ヴイルヘルムの方が遥かに共感できるし、小説としても此方が動き廻つてくれた方が面白いのは明らかである。余も嘗ては基督教を源泉とする西洋の絵画や彫刻、建築といつた藝術への憧れを強く抱いてゐたものだが、宗教としての基督教を嫌ひになつてみると、レンブラントやカラバツジオの宗教画も、ベルニーニの聖母子像も其の魅力の大半を失ひ、今なを輝きの減じないのはバツハの音樂くらゐになつてしまつた。まあ、西洋文化や基督教に関はる藝術に関する自分の興味や関心、或は憧憬や好惡の変遷に改めて思ひを致すといふ意味では初老に差し掛かつてゲーテを讀む価値は十分にあるとは思ふのであるが。