二百年

一月三十日(金)雨
此の處文化年間の出來事と大正時代の事物を同時に調べることが多く、其の違ひに愕然とする事屡(しばしば)である。其の間約百年。そして大正四年から今年が矢張り百年である。つまり、文化十二年は二百年前になる訳である。此の三つの時間を比較してみると、現代と大正の生活環境の違ひの方が、大正と文化年間との間に起つた社會の變化よりも遥かに小さい氣がする。大正時代の人々の考へ方を我々はある程度共有してゐるし理解も出來るのだが、我々と同様大正時代人にとつても化政文化は余程異質なものに感じられたのではないか。それでゐて大正の人たちよりも江戸期の日本人にある種の懐かしみと親しさを感じることも多い。どちらの時代に生まれたかつたかと言へば斷然文化年間の江戸である。二百年前に生きた井岡櫻仙と百年前の甲斐荘楠香と余で座談會を開いたらさぞ面白からうと思ふ。
さう考へてみると、昨今余は今現在の現實から一歩も二歩も退いてしまつてゐて、時代とともに生きてゐないと言はうか、アクチユアリテを自分のものとして感じられないといふ感じがある。いつだつて時代に背を向けてゐたではないかと言はれればその通りなのであるが、それでも若い頃はもう少し時代の空氣とか流行といつたものに感度は働いてゐたやうに思ふ。今ではとにかく新しいものには全く興味を持てず、歴史の中にばかり關心が行く。今現在の世の中の出來事や状況に全く關心がない訳ではないが、それが自分と直接繋がりのあるもの、目の前で正に起りつつある事であるといふ實感が持てないのである。そして今世の中で発言をしてゐる人々の頭の中の方が、大正時代の知識人の考へてゐたことよりも、余にとつて理解し難い場合が多い。偶にテレビなどで藝能人などが発言したり、反應したりするのを見ても、彼らの感じ方や言葉が宇宙人のもののやうに理解も共感も出來ないのである。ものの言ひ方からことば遣ひも氣に入らないし、マスコミの輕薄さとレベルの低さに頭痛がして來る。テレビドラマなども同じく、ちよつと見ただけで阿保らしさ安つぽさに辟易してとても見られたものではない。現在の日本に起つてゐるあらゆることが氣に入らないのかも知れない。同意も共感も出來ないことばかりなのである。流石に自分でもこれは余り良い傾向ではないとは思ふ。現在からの疎外は、歴史を讀む上での視点の喪失にもなりかねないし、何より今生きてゐる人たちとのコミユニケーシヨンに問題を起こしかねないからである。此のブログ上で時事に關する話題が乏しいのはだから口を噤むとか敢て沈黙を守るといつた理由ではなく、單にさうしたことに興味を持てないからに過ぎない。身も蓋もない話ではあるが、如何ともし難い。テレビも見ないし新聞も讀まず、會社に友人はゐないから仕事以外の話もしないので、自ずから自分が興味を持つ時代にのみ讀書も思考も集中してしまひ、益々世間から隔絶するのである。新刊の書籍もまづ讀まないし、雑誌は學會誌のバツクナンバーを除くと此処數年買つたこともない。スマートフオンは其れを歩きながら見てゐる人たちへの嫌惡もあるが、持つ必要性を全く感じないし、電子書籍しかり、タブレツト型PCしかりである。電車内の廣告を見ても、欲しいと思ふやうなものはまづない。資本主義世界の購買意欲促進のマーケテイングとかアドバータイズメントの薄つぺらさや見え透いた思惑が鼻に掛かるだけで、その手には全く乘らなくなつてしまつた。欲しいものは書籍を除くと必要なものに限られ、必要なものは大抵不必要なものまで搭載されてゐるため、なるべく必要最小限のシンプルな品物を値段と關係なく探すことになる。かくして、「現實」なるものが目の前を流れる川のやうにしか見えず、彼岸に掛かる橋ばかりを目で追ふやうになるのであらう。もしかすると、仕事上で何ら責任を負ふ必要がなくなり、時代や流行や上司に迎合することなく香りを作ることの可能な職人的な立場に居られることも、かうした傾向に拍車を掛けてゐるのかも知れない。それはそれで贅沢といふか恵まれた境遇であらう。社會的に葬り去る事が會社が余に與へた境遇の最終目的であるとしたら、其の意味で目的は達せられたのである。
さうである以上、余の書くものであるとか發言といつたものが世間に影響を及ぼす事もまづ無いと言つてよいだらう。社會から身を引いた人畜無害な老人の繰り言に過ぎないからである。いや、さうでなくてもブログで何を發信したところで影響力などある筈もない。さすれば詰まる所自分の興味の赴く處を讀み好きな事を書いたとして、世間に迷惑を掛けるでなし、好き勝手御免といふことにならう。それでゐて、昔なら日記にでも書き連ねるべき駄辯を人の目に触れる場所に置く時點で、余もまた大正人とはかけ離れた平成に生きる人間に他ならない事を圖らずも露呈してしまふのも皮肉と言へば皮肉である。