戀愛から情愛へ

二月一日(日)晴
熟々思ふに余も齢をとつて漸く腑に落ちる處があつた。今曲がりなりにも穩當な日々を過ごす事を得てゐるのは、恐らく余が今の配偶者に對して情愛を以て接してゐるからではないかと思ふ。若い頃、異性に強い關心を持つと同時に戀愛に憧れた。愛より戀が先だつたのである。長じて多少なりとも戀愛の經驗の後、戀よりも愛を大切に思ふやうになつた。但し、其れは愛欲に流れがちであつたが、紆余曲折の後愛情に辿り着いたかに見えた。しかし、愛が先だと其れが衰へる事も新たな愛に出會ふ事も有り得る事に気付いた時には愛情の對象を失ふに至つた。其の喪失感は大きかつたが、暫く後に出會つた人とは互ひに年齢を重ねた後だつただけに、愛が先行するといふより共感と情と縁を契機としてゐたやうに思ふ。さうして今、情愛とともに暮らす事で、穩やかな生活が實現されたのである。情愛は情が先んじてゐるから基盤が強い。愛が先だと一對一の個人的な關係が優先されるが、情が頭に來れば背後の人々を思はざるを得ないし、其処に縁や社會が廣がる。愛は移ろふ可能性があるが、情が先にある限り裏切る事は難しい。愛情と情愛は似てゐるが斷じて同じものではない。漢字熟語の語順の違ひには思ひもよらぬ知恵が潜んでゐるもののやうである。