囘歸

四月十三日(水)雨後陰
何もかもが嫌になることが年に何度かはある。ひとつひとつは大したことではないが、意に沿はぬことや落胆することが續いてすつかり意氣消沈してしまふのである。鬱鬱として樂しまず、何もやる氣が起こらない。職場の息の詰まるやうな環境のせゐもあるが、久しぶりに出掛けて行つた元の職場での若手の會話に疎外感を覺えたり、予想外のことで仕事の段取りが狂ふなどして、心が沈んでゆくのである。それと今囘は自分が話を眞に受けて馬鹿を見た事の續いたのも悄然とさせることであつた。といふのも、よくある事ではあるが、普段の會話の中で今度一度一緒に食事に行かうとか、或る催しに一緒に出掛けようなどと話すのを余が眞に受けて後日企畫すると用事があるなどで斷はられ、やつとそれが社交辭禮に過ぎなかつたことに氣付くといふ事が立て續けに起こつたのである。かうなると、自分の迂闊さ馬鹿正直さに腹が立つのと倶に、自分が嫌はれてゐる事を實感して何とも悲しい氣分になるのである。そんな事があつた日の歸りは、電車に乘つても普段なら東神奈川か横濱で座れるのに座れず、本を讀んで氣を紛らはす事も出來ずにあれこれ考へて更に氣分が落ち込むといふ惡循環に陥る。家に歸つて酒を呑んでも旨くないし、おまけに巨人が快勝といふ不愉快が重なる。巨人と長州人は余が最も嫌ふもののひとつである