刻印

八月二十三日(火)
理解に苦しむ言動といふものに出喰はす事がある。日常生活に於いてもあるが、其の場合は些細な事柄で、ちよつとした驚きや失笑で終はつてすぐに忘れてしまふ事が多いのに對し、冠婚葬祭といつたハレの場でさういふことに出会ふと印象が強いのかいつまでも記憶に殘ることがある。あれは三十年以上前、母方の伯父が今の自分よりも若くして亡くなった際の葬儀でのことである。伯父の連れ合ひ、すなはち未亡人となつたばかりの、私にとつて伯母に當る人の親戚が田舎の伊那から出て來てゐたが、其の人たちが告別式の朝、皆が準備で忙しくしてゐる中何を思つたか控へ室で伯父夫妻が仲人を務めた結婚式のビデオを流し始めた。余りの無神經さに啞然としてゐると、案の定伯母が気づいて悲鳴を上げた。悲しみと衝撃に堪え、兎に角葬儀を恙なく執り行ふことに専心しようとしてゐる遺族の心の傷に塩を塗るやうな仕打ちであらう。私には何故あんなことをし始めたのか今以て理解できない。葬儀といふ、心理的緊張の強い場面での出來事だからであらう、其の時のことはよく覚えてゐる。
ごく最近参列した葬儀に於いても、似たやうな出來事に出喰はしてしまつた。それも、自らの發意でないとは言へ、伯父の葬儀での田舎の親戚と同様の加害者の方に立たされた殘念な出來事である。それは通夜の席で起つた。僧侶による讀經と會葬者の焼香が済み、時間も通夜の予定時刻を過ぎた頃、故人に對し献奏をすることになつた。故人は筝や三弦の演奏をよくする人で、大學時代に邦樂のサークルに所屬し、献奏するのはそのサークルOBである。故人はそのOB會でも幹事として活躍し、邦樂を通じた人々との繋がりを大切にしてゐた人だから献奏は良いことだと思ひ、私も心を籠めて尺八を吹奏した。問題は其の後である。OB會の幹事長が遺族にOB會の會報を手渡す。故人が邦樂やサークルのOB會に對する思ひを綴つた文章が載つたもので、遺族が個人の一面を偲ぶ便(よすが)として渡すのだとしたら、何故この場でなのかといふ留保はつくが、百歩譲つてよしとしよう。ところが、何を思つたか幹事長がその文章を遺族に音讀するやう求めたのである。御主人ご令息ご令嬢の三人がやや失笑の體で譲り合ひ、結局お嬢さんが棺に向かつて讀むことになり、我々はマイクを通じてそれを聞いた。これは一體何であらうか。誰の爲のものであらうか。文章からは確かに、OB會での活動や人々との出會ひを喜びとしてゐた故人の心持が傳はつて來る。しかし、故人に向けてこれを讀むといふのも妙な話だし、遺族の爲に態々讀ませたとも思へない。OB會の誰かが遺族に感謝の気持ちで讀み聞かせるといふのならともかく、遺族に讀ませる時点で、音讀の目的が参列したOB會の面々へと轉化してしまふのではないか。果たして、故人の亡骸の前で遺族を使つてまで個人の想ひを参列者に傳へる必要があるのであらうか。献奏したOBへの、故人の感謝の氣持ちの代讀だとしたら、私には到底理解の出來ない話である。
或は、遺族の悼みに寄り添はうとする私の葬儀に對する感じ方の方が特殊なのであらうか。地方や田舎によつては、葬儀といふのは遺族の悲しみを中心に置くのではなく、あくまで成員の死といふ異常事の衝撃を共同體の中で緩和させ、共同體の結びつきを再認識させる様々な「仕掛け」を儀式の中に含むべきものなのであらうか。土佐では、葬儀は死者を措いて、生き殘つた者たちの社会性の方を尊重する儀式なのであらうか。
さう考へれば、葬儀は常に習俗を伴ふものである以上、一義的な「あるべき葬儀の姿」といつたものはないのかも知れない。最初に出した伊那の人たちの心性も、其処に歸せる可能性はある。それでも、ふたつの葬儀では、私自身が悲しみに満たされてゐたこともあつて、さうした振る舞ひが理解に苦しむ出來事として深く心に刻まれたのである。