秀才たち

五月二十日(日)晴
職場で仕事をしている。香料の処方箋をひとつ仕上げてアシスタントに渡す。アシスタントたちは忙しそうにしていて、あまりたくさん処方を出すのも悪いと思い大きなテーブルの片隅に座って、その朝駅で買った新聞を読み始める。サッカーJリーグで優勝した磐田のチームが、いかに先進的な戦略を取り入れていたかという記事を読む。そうこうするうちその席に西日だか朝日だかわからないが、とにかく陽の光が差し込んで眩しいので、日陰の席に移動する。そしてiPadを開いてメールを見ると、知人の大学教授からの転送メールがあり、それは先日彼が開いた、私が行けなかったガーデンパーティに来ていた人からのものであった。それはメールというより動画であり、植物で自分の彫像のようなものを作り、それが時間とともにどのように変化して行くかを撮影したもので、植物の成長により巨大化した自分の姿がグロテスクにも、またユーモラスにも見えるところが絶妙で、しかもそこに構図や仕掛けに新たなアイデアを盛り込んでさらに面白く見せるものであった。これはタダモノではないと思っていると、今度はその本人から直接メールが入った。今度は小さなテーマパークのようなものの街路図と企画書のようなもので、そこでは街の中でそれまでに撮られた映画のあらゆる照明の効果を実感・実見できるようになっていて、街灯ひとつとっても有名な映画の一シーンの明かりの効果を完璧に再現するという。光というものの変幻自在ぶりとその効果を餘すところなく見せてくれるわけで、私は思わず、香りや匂いに関する似たようなテーマパークができないだろうかと思い、このアイデアを相談するためにもこの人を友人に紹介してもらおうと心に決める。ところが、すぐにまたメールが届き、今度も動画で、アルプスかどこかの山岳の頂上付近で本人とその友人たちがパーティを開いているところを撮ったものである。最初の植物彫刻で見たことのある本人と、その奥さんらしいきれいな女性、さらに数人の友人と配偶者らしい人たちが写っている。仲のよいくつろいだ姿だが、それが皆どう見ても頭の良さそうな、学者らしい風貌をしている。明らかに皆が皆、東大の大学院を出て東大で教授をしています風な、秀才を絵にかいたような人たちなのである。学士会員、すなわち旧帝大卒業生の中でもとりわけ東京帝国大学出身者に対してコンプレックスを持つ、しがない私大出身のわたしは、これを見て友人に紹介してもらうことをあきらめた。とてもこの人たちと会話が出来る身分ではないことを悟ったのである。