北條一族

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東勝寺跡/腹切やぐら/宝戒寺の萩/宝篋印塔


 この前の土曜、鎌倉に出掛けた。蒸し暑い中駅から歩いて東勝寺跡地に向かう。通りから谷の方に向かうと、それまではいた観光客の姿も急に見えなくなる。東勝寺橋で滑川を渡り、さらに進むと次第に道は傾斜となり、左手の草深い空き地が東勝寺跡で国指定史跡となっている。当時を偲ぶものは何ひとつ残っていないが、山際に開けた土地は十分に広く、円覚寺建長寺の姿を想像すれば、ここにそうした古刹があったことも理解できる。さらに山道のような階段を登った先の左手に腹切やぐらの石碑が建っていた。やぐらへの横道も、ハイキングコースの入り口だったその道も、台風の被害があったとかでロープが張られていて通れないようになっている。私は腹切やぐらの横で、みずからの作った尺八曲を二度吹奏した。太平記を読んで、新田義貞の攻撃を受けてこの地で自刃して果てた、得宗北條高時以下八百有余名の霊を弔いたいと思って作った曲である。未完成ではあるが、その一族自死の場所を訪れ、そこで吹くことで、完成に向けたインスピレーションを得たい気持ちもあり、途中までの曲がこの場に相応しい楽曲になっているかを確かめたい気持ちもあった。幸い行き止まりで人も来ない場所であったので、私は二度ばかり吹いてから、目を瞑ってあたりの空気を吸い込んだ。鎌倉の禅寺には北條氏と縁の深いところが多いのに、何故か一族滅亡の話はあまり語られていないような気がする。まあ、その来歴からして、東勝寺が人気の観光スポットになることもないのだろうが、これも戦前の南朝正統論、足利家逆賊視の流れで、北條氏軽視の結果なのではないかとさえ思ってしまう。

 もと来た道を戻り、それから宝戒寺に向かう。萩の寺としても有名で、ちょうどその花が見ごろではあったが、もちろんそれが目当てではなく、北條氏の鎮魂のために訪れたのである。建武二年に後醍醐天皇の命により、北條得宗家の屋敷跡に建てられた寺で、もとより北條氏の霊を慰めるためのものである。受付で拝観料を払う際に献奏を願い出て許され、宝篋印塔という東勝寺で自刃した諸精霊を供養する慰霊塔の前で、腹切やぐらで奏した曲を今一度吹く。