情報格差

 常ならぬ状況の中で、ふだんはテレビを見ない私も現況を知ろうとテレビ番組を見はじめた。昨日のNHKスペシャルや今朝の民放などだが、昨夜は経済問題に話題が偏り、今朝は今朝で渋谷の人出がどんなに減ったかといったどうでもいい話題を繰り返しやっていた。新聞のウェッブサイトなどを見てみても、たとえば何故ドイツの死亡率が低いのに、イタリアでは異常に高いのかといった、知りたい情報が少しも出ていない。さすがに苛立って、英語やフランス語のニュースサイトを覗いてみると、そこには日本でまるで報道されていないような、明確で幅広い情報が掲載されていた。知りたかったこともおおよそはわかった。ドイツではとにかくCPR検査を広範に徹底的にやっているらしい。咳症状程度でも検査にかけ早期に発見するとともに、危機感の醸成や医療体制の整備が早めに行われたという。移動や外出の規制もフランスやアメリカのような強制ではなく、かなり柔軟な対応のようだ。ただし、危機感がないわけではなく、政府は嵐の前の静けさにすぎないという注意喚起を続けている。一方のイタリアは経済活動を優先して初動が遅れ、かつ高齢者の多くが自宅で亡くなっているのに、それがコロナによるものであるとの認識が遅れ、関係者が通常の生活を続けたために感染が拡大した可能性があるという。イタリアが高齢者社会だから死亡率が高いなどという愚にもつかない説明でお茶を濁している日本のマスコミの低劣さと、そんな情報しか与えられない国民が全く悲惨であることがよくわかった。

 すなわち、外国語の情報を読めるか否かで、世界情勢の認識が根本的に変わるということである。もちろん、これは今に始まったことではないが、こうして全世界が巻き込まれた非常事態になってみると、その情報の差が歴然とするのである。私にしたところで、フランス語のメディアを常日頃から目にしているわけではないし、今回でも辞書を引きながら何とか読み解いたに等しい。それでも、外国語の情報を得られる条件とそうでない場合の格差に思いを致さないわけにはいかなかった。外国語とは、要するに教育の問題であり、きちんとした教育を受けられたか否かの結果でもある。教育機会の格差が所得の格差によって増幅されることが分かっている現在、英語の情報すら入手および理解できない一般的日本人の割合を考えると、何もかもが悪循環に陥っているのが日本であることがよくわかる。

 また、昨日の安部の会見を伝えるニュースの冒頭で、TBSの記者がコロナについての発言より先に、財務省改竄事件めぐる記者質問に対する安部の不誠実な対応に言及し、国民がコロナと戦うためにも一国の首相が信頼に足る人間かどうかを見極める必要を訴えていたのは、勇気ある正しい報道姿勢だと思う。現在の先の見通せない状況を、とかく目先にとらわれがちな日本人が、ことの本質を見抜く機会にしなくてはならないと思うのである。