大久保の野望

 明治6年、大久保利通は内務卿となった。内務省という、それまでの太政官制にない官庁を作ることで、大久保は政府を掌握することに成功する。大蔵省や法務省、外務省といった、国事の主流とされる官庁ではなく、警察機構を取り込み新たな任務と役割をみずから作り出しながら、広範な権力を手にするに至ったのである。結果として実質的に既存の官庁の上に立つ役所を作り上げたに等しい。戦前は官庁の中の官庁、官僚の総本山として、内務官僚とはエリートの集まりであった。大久保の野望たるや、実に恐るべしである。

 これとよく似たことが、ある企業でも起こった。そこではある役員が、営業や研究、製造、経理といった、「会社」たるものに本来的・伝統的に存在する主流の部署を所管する役員となるのではなく、新たな部署を創設してその上に立ち、結果として全社を掌握したのである。

 現代の企業ではITは不可欠であることからまずその部門を傘下におく。そして社会的に耳目を集めやすく各営業本部の意向から独立して睨みを効かすことのできる品質保証部門を管轄する。さらに、安全管理とかCSRあるいはEHSや今流行りのSDGsといった、「正論」がまかり通る部門を掌握する。一見、それらの部門は本業の主流ではないように見えるが、考えてみると全部門がそれらと関係し、その施策や方針のもとでなければ動けないことに気づく。組織上ではなく、実質的にすべての部門がそれらの配下にあることになるのだが、それに気づいた時にはすでに遅い。盤石な権力の構図が出来上がっていたのである。

 自分が管理しやすいように自部門は少数精鋭にし、しかも部下には恫喝に近いダメ出しと粘着質な細かな指示を与えて恐怖政治を敷くことで従順化させ、他の部門には異論を挟めない企業の社会的責任や「安全」や企業活動の透明性などといった理念を振りかざして支配下におく。実際問題として、各部門は今やIT部門の協力なくしては仕事が動かせなくなっているので、言うことを聞かない部署にはIT関連のサボタージュによる反撃方法も手にしていることになる。内務省の例で言えば、警察権力を手にしているようなものである。その結果、今や彼は社内で無敵であり、各部門への権限は社長より強いと言えるかも知れない。少なくとも部長クラスは自部門を管轄する役員よりも彼を恐れ、彼に気に入られるように仕事をするようになる。

 思いがけず、見えないところから全社を完全に掌握する、実にスマートな権力奪取のやり方である。その部門が「内務部」や「内務本部」だったら面白いのだが、もちろんそうではない。それはともかく、こういう会社がこの先生き残れるかどうか、興味深く見守っていきたいものである。