土佐勤皇党

 安岡章太郎『流離譚』読了。とても良いものを読んだという感覚がある。安岡の作品は長らく読んだことがなかったが、万国博覧会関係への興味から『大世紀末サーカス』を読んでみると面白かったので、続けて『鏡川』を読んだらまあまあの佳作という感じだった。それで少し間をおいて本書を読んだところ、面白さにひき込まれた。大河ドラマをまず見ないから比較の上で言っているわけではないにせよ、明らかに大河ドラマなどより遥かに面白いと思う。

 時は幕末、ところは土佐、安岡の先祖である土佐の郷士安岡一族の男たちの戦いを、史料を読み解きながら描いていく。吉田東洋暗殺に関わり、天誅組の変に加わって最後には処刑される嘉助、戊辰の役に従軍して会津の地で戦死する覚之助、自由民権運動に奔走した道太郎、福島梁川の地で医師として骨を埋めることになる正凞らを中心に、一族のさまざまな人間たちの生きざまが描かれ、山内容堂武市瑞山谷干城板垣退助などの「有名人」が登場する。土佐藩内の佐幕派開明派と勤王党の闘い、あるいは上士と郷士の間の溝や反目、そして天誅組の足跡にしても戊辰の役の実情にしても、初めて知ることばかりで大いに勉強になった。特に天誅組の敗走の実態や、戊辰戦争の裏にあった政府軍内部の抗争などは興味深いものであった。帰順旗本とはまた別次元の、敗れ去った者たちの悲惨な最期がゴロゴロしている感じで、今一度幕末維新史をいろいろ読みたくなった。

 それにしても、安岡章太郎の史料のさばき方と文章の進め方はさすがに一流の書き手だと感心する。史料の読みは丁寧だし、人情の機微に触れた小説家らしい想像は説得力がある。もちろん断定はせずに、だったのであろうかと疑問のかたちに残すところは多いが、勝手な想像ではなく史実や当時の事がらを調べた上での推論だから、史料そのものからではなかなか見えて来ない仮説を親切にわれわれに提示してくれる感じなのである。その一方で羨ましいという思いも禁じ得ない。当事者の日記や手紙といった一次資料に恵まれていることに対してである。このような手つかずの一級の史料がふんだんにあれば、それを料理して何か書きたいと思うのは、もの書きにとっては当然の思いだろうと思われる。わたしも今評伝を手掛けているが、それほど未公開の一次資料に恵まれているわけではないから、余計に羨望を覚えるのである。

 料理人の腕は確かに一流だとしても、この小説ではこの一次資料という食材あってこそこれほどのご馳走になったのだろうと思う。それも、この小説ではかなり素材の良さをそのまま使っていて、手紙の引用が中心となっているところがあり、それも羨ましいところである。とは言え、その引かれた候文を読みこなせないと、面白さの十分の一も伝わらないのではないかとも思う。その意味で、鷗外の史伝と同様に、今の世ではますます読み手の少なくなってしまう類の書物なのだろう。

 勤皇の志士なるものについて、今までは吐き気しか覚えなかったのだが、その時代の潮流の中に置いてみれば、それぞれの真剣な生き方や人格も含め、十把一絡げにしていいものでもないことを思い知った。藩の中でも身分による差別反目は大きく、その上他藩はまったく事情が違うのだから、国民国家創設のひとつの芯になるものとして勤皇という旗印は必要だったのかも知れないと思いかけたりもするが、その一方で、明治になるや勤皇も攘夷もすっかり忘れて、またぞろ保守反動や古びた勤皇、そして自由民権運動に分裂して争う土佐の実情を見れば、幻想としての勤皇の底の浅さも感じられるわけで、むしろ憎むべきは明治政府が捏造した近代天皇制の方にあることが今さらながらに明らかになったという次第である。