歴史小説

 わたしは歴史小説を読まない。ましてや大河ドラマはまず見ない。何というか、不満と違和感で不愉快になってしまうからである。司馬遼太郎などまったく好まない。「峠」だけ昔読んだことがあるが、その後二度と司馬の本を手にしていない。フィクションならまだ抵抗は少なくて、大菩薩峠など大好きだが、それは例外的な話で、だからといって鬼平犯科帳を読もうとは思わないのである。歴史物なら松本健一の評伝的なものや、本来の歴史学の研究書を読む方が面白いし、はるかに発見が多い。しかし、それ以上に面白いのは、一次資料であり、公文書館にある文書を読み始めてしまったら、歴史小説など馬鹿馬鹿しくて読めるものではなくなるのである。

 という訳で、今わたしはテキスト化されていない史料の読解が楽しくて仕方がない状態である。と言っても、読んでいるのは明治元年のものだから、そんなに古いものではなく、別に威張れるものでもないのだが、明治政府初期の文書を集めた「公文録」の一部である。その中の、旗本たちが朝廷に帰順するために差し出した文書を集中的に読んでいる。当然いわゆる御家流のくずし字、候文で書かれている。「公文録」は書類を引き写したものだから筆記者の書き癖によって、きわめて読み易いものと判読困難なものが併存している。とは言っても目的は同じだから似たような文章が多く、慣れてくればわりと読みやすくなる。慶応四年正月に始まった鳥羽伏見の戦いの後、徳川慶喜が江戸に逃げ帰り、朝廷は慶喜を逆賊扱いするとともに、幕臣に帰順して「朝臣」になるよう呼びかけている。幕府側も一月末には、特に近畿に知行所のある旗本に対して領地に戻り朝命に奉じることを容認する旨を通告している。そこから、旗本たちの逡巡と決断があり、慌てての江戸出立があり、京に着いてからは「上京届」や「天機伺」、勤王願」などが朝廷に出され、最終的に帰順した旗本に対して五月十五日に「本領安堵」が出される。それらの文書を見ていると、旗本たちの動向や姿勢がよくわかって面白いのである。江戸では朝廷に帰順した旗本の家は 江戸っ子に不評でものを売って貰えなかったり、徳川家に対する恩義に悖るものとして非難されたりしていたが、もともと当家は勤王の志を先祖代々持っており…と弁明する旗本たちの必死さも、決して笑うだけではすまないものを感じる。第一、江戸を出てからの足取りや途中経過も結構千差万別で、江戸は出たものの、領地に戻って明らかに「日和見」を決め込んでいた者や、官軍に出会って江戸に戻るように言われて戻った者など、ちょっとした出発日の違いが運命を変えかねない状況であった。それにしても、出発が遅れた言い訳で「風邪」や「所労」が多いのには笑える。旗本はよほど風邪をひきやすい体質だったと見える。

 という訳で、今後も歴史小説を読むことはまずないだろうと思う。その一方で、面白い材料が一杯集まったので、自分ではそんな旗本の姿を小説にしてみようかという気がないでもない。幕末維新期の歴史小説といえば、薩長の志士や一部の開明幕臣ばかりで、その他多くの時代に翻弄された旗本が主人公になることは少ないと思う(あるのかも知れないが…)ので、新味は出るかも知れない。とは言え、書こうとすると当時の制度や風俗をもっと知る必要があり、そのためには手っ取り早く歴史小説を読む…などということになれば本末転倒なので、やはりやめておくことにしよう。歴史に関しては明らかに、史実は小説より奇なり、であること明白だからである。