時代小説嫌い

 宮地正人著『歴史のなかの新選組』読了。時代小説の手垢にまみれた新選組歴史学の中にきちんと位置づける試みである。わたし自身、時代小説や時代劇、映画などによって捏造された新選組像に影響されてか、逆にこの集団の歴史的意味を軽視する傾向があり、まともな興味を持って来なかった。それが、『流離譚』を読んで、その時代の薩長や幕府、朝廷を主にした歴史学的成果とは少しずれたところにある、この名のみ高くして実態のよくわからない集団に興味を抱き、しかも史料精読による史実の構築に定評のある宮地氏の著作であることから読んでみたものである。

 また、伊東甲子太郎御陵衛士について知りたいと思っていたこともあり、多少なりともその辺の事情は理解することができた。毎度のことではあるが、ウィキペディアで得る知識が不正確で偏ったものであることを痛感させられることにもなった。そのほか、知らないことばかりであったのは当然とは言え、わたしにとって発見だったのは、新選組の屯所が本願寺にあり、その本願寺側では新選組を厄介者扱いしていたことである。特に、浪士や公家との内通を新選組に疑われた本願寺家臣の中に下間大監の名を見い出したことは大きな発見であった。大監の子源吾が甲斐荘正光の養子となった正秀なのだが、大監が反新選組の立場にいたことや、公家との近い関係から、養子縁組に際して岩倉具視が動いたという伝承を裏づけるヒントになりうるものとも思えるからである。少なくとも、その線の史資料を当たってみる価値が出てきたことになる。

 とにかく、史料に基づいた歴史学の書は面白く、想像に基づいた時代小説は嫌いである。