本末転倒怒り心頭

 通勤で家から駅に向かう途中に片側二車線ずつの道路が交わるわりと大きな交差点がある。そこの信号は歩車分離となっているから一斉に歩道者向けの信号が青くなる。いわゆるスクランブル交差点である。わたしは駅の方向に行くため斜めに横断しているし、多くの人も当たり前のこととしてそうしている。交差点の角に柏陽高校というのがあって、学生は駅の方から来てわたしの来た側に渡るので当然斜めですれ違うはずである。ところが、教師のような人間が交差点に立って、斜めに渡らせずに直角に道二本を渡らせるようにしているのである。理由はまったく理解不可能だが、そうすることによって何が起こるかというと、三角形の二辺を通るわけだから斜め横断より時間が掛かり、後の方の学生たちは渡り切れずに赤信号になったにもかかわらず、喋りながら信号も見ずに悠然と渡ることになるのである。教師も注意せずに見守るだけだから、生徒の方は信号を守っていないという意識すら無さそうである。何のための交通指導かまったく訳がわからない。そんな規則だか指導だかをする方もする方だが、唯々諾々と従うだけの羊のような学生たちにも腹が立つ。こんな理不尽で馬鹿げた「歩き方」を強制されて、それに抗議したり反抗したりせずにただ従うだけとは、見下げ果てた「若さ」であり、そもそも頭を使わないこと甚だしい。勉強はそこそこ出来そうだが、たいした人物を輩出することのない校風にぴったりと言えばぴったりの、ただおとなしいだけが取り柄のつまらない生徒たちである。今日のネットニュースで若年層ほど現政権を支持する傾向にあるというのを読んだこともあり、何も考えない従順さと現状肯定のお気楽さに、生涯反抗期のわたしのような人間は怒りしか感じない。規則を守らせること自体が目的となった理不尽極まりない規則や校則といった類のものを、わたしを含めた昔の生徒・学生がどれほど憎み、呪詛したことか。ある意味、そうした硬直化した思考や戦前から続く日本人の無意識な暗黒面を理論や言説で打破するためにこそ、勉強を頑張ってしてきた側面もある。正しい反抗もせず諦めきって小さな平穏を優先させることを、年取ってからならともかく、若くしてしてしまうことへの絶望感を覚えずにはいられない。教師に従っているだけで、自分の判断で青信号を渡らなないような奴らは、車に轢かれて死んでしまっても何が問題だったのかついに気づくこともないのだろうが…。最近の若い子たちは素直で親孝行で他人に対する感謝を忘れず優しいのも多いけれど、こういうのを見ると無性に腹が立ってならないのである。