人生を変える一冊

 石牟礼道子『神々の村』読了。「苦海浄土」第二部である。また、図書館で『桑原史成写真集 水俣事件』および『写真集「水俣を見た七人の写真家たち」』を借りて来た。正視せねばならぬという、自らに課した義務としてそれらの写真を凝視した。そして、第三部『天の魚』を読み始めた。

 石牟礼さんの作品は、60年に及ぶ私の人生の中でも、特別な地位を占めるとの予感が強い。今まで、顧みれば自分の人生を変えたと思えるほどの本にはそうそう多く出合って来たわけではない。思いつくのは、太宰の何冊かと、シオランの『歴史とユートピア』、マルグリット・ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』くらいである。好きな本、感動した本、影響を受けた本、うーんと心の底から唸った本は数多いが、自分の人生の方向を定めたと思えるほどの本はそんなに多いはずもない。それなのに、今回は年甲斐もなく、とてつもなく大きな変化が起きそうな予感がある。

 一方で、『苦海浄土』を高校1-2年の時読んでいたらどうなっていただろうと想像する。私は確か高校3年になる前の春休みに一人で九州を旅している。宇佐八幡を見た後国東半島の石仏を見て回り、別府、高千穂、阿蘇山を経由して熊本に出て、その後柳川、長崎などを回った。記憶が正しければ、1979年のことである。年表を見ると、この年の3月にチッソの刑事責任が確定し、元社長と元水俣工場長が有罪になったものの、1987年に水俣病被害者側原告が全面勝訴する遥か前のことである。今と比べれば、水俣事件はまだ「ライブ」の時代である。もし高校時代に『苦海浄土』を読んでいたら、おそらくこの旅の途上で水俣を訪れていただろうと思う。そこで何を見て何を感じ、あるいはどのような結びつきを持つに至ったかは今ではもちろん想像しようもないが、水俣を訪ねることで私のその後の人生が今とは大きく変わっていた可能性は高い。少なくとも、「化学工業」に対する不信と嫌悪から、その一端を担う「合成香料の会社」に就職することはなかっただろう。そうすれば、現在の私の一切が全く違ったものになっていたことになる。

 逆に、化学工業の会社に就職し、社史の編纂を通じて朝鮮半島での日本窒素肥料の巨大コンビナートの建設とそれにまつわる悪行の数々や軍部との深い関係についても知っている今だからこそ、余計に切実に、単なる被害者への同情を越えた、近代日本に対する根源的な疑問と否定を石牟礼さんと共有できたとも言える。今のこの自分の感情や思いをいまだ明確な言葉に表現し得ないでいるが、これはそうは言っても60年近く彷徨に近い迷いの年月を過ごす中で図らずも得た体験や知識の上で読んだからこそ感じられるものなのかも知れないという思いもある。要するに、高校生の時読んだとしても、今ほどの、人生に対する自分の態度や思いを変えさせるほどの影響力は持ち得なかったかも知れないということだ。それでいて、それが幸か不幸かは決して分かるはずのものではないにせよ、読まずにいたことによる水俣病への自分の無関心に対する自責の念こそが、この本が私の人生に対する態度を根本から変える可能性の最大の要因であることもまた、私自身がよく理解していることなのである。