その後

 衝撃はまだ続いている。今の自分の状態をうまく言い表わすことばはいまだ見つからないが、大雑把な概念や用語でわかったつもりになるよりは、この感情と理性に渦巻く混沌こそをきちんとからだ全体で受けとめるべきなのだろう。

 無知と無関心に対する羞恥心と後悔と贖罪の気持ちは変わらないが、少しずつ「知りたい」と思うことが明確になりつつある。

すなわち、

水俣病事件の事実の全貌。まだ終結しているとは言えないこの事件を「歴史」として捉えたくはないが、とにかくその経過の事実を知りたい。

②次に、水俣病の被害者の方々と、石牟礼道子さんをはじめとした水俣病に関わった人々のことをもっと知りたい。

③そして、石牟礼道子さんの作品そのものである。

  まず、③として『苦海浄土』第三部「天の魚」を読んだ。その後すぐに、導き手となった田中優子さんの『苦海・浄土・日本』を読んで石牟礼さんの作品世界とその生涯のおおよそを知った。②に相当する。そして、②の延長として塩田武史の写真集『水俣 深き淵より』や『水俣な人』を読んだ。後者は水俣病に関わった人々を2013年に振り返ったもの。併せて有名なユージーンとアイリーンのスミス夫妻による写真集『水俣』も見た。絶えず心拍数の上がった状態での読書である。それから、①として富樫貞夫の『〈水俣病〉事件の61年』を読み、この事件の持つ近代日本のあり方に疑問と異議を突きつける「ことの本質」が確認できた。今は石牟礼道子自伝『葭の渚』を読んでいる。併せて、③として借りてきた全集で新作能「不知火」などを読むつもりである。

 とても、水俣病について何かを言える立場ではないし、その資格を著しく欠いていることは自覚している。ただ、「知りたい」という思いで読むだけである。