コロナ、わたしの場合-1-

 せっかくコロナに罹ったので、罹患中の状況や症状、そして後遺症などについて書き記しておくことにしたい。数ある中のひとつのサンプルに過ぎないが、何かの足しにはなるかも知れない。

 まず、ことは12月20日に始まった。朝会社に行くため駅に向かい、少し早めに着いていつもの電車より一本前に乗れたのに、わたしはあえて次の電車を待つことにした。次を待てば確実に座れるからである。ところが、この日はとても寒くて風も冷たかったうえに、次の電車の到着が少し遅れた。そのため、吹きさらしのプラットフォームでいつもより長い時間北風に曝されたことになる。そのせいか、午前中から寒気がして、これは風邪を引いたなと思った。午後になると体がだるくなりはじめたので、一時間早退することにして家に戻り、そのまま寝込んだ。夜になって、コロナの可能性もあると思い、家にあった抗原検査キットを使ってみたところ、使い方がよくわからないうえ結果も判然とはしなかったが、陰性と出たのでやはり風邪だと思い早めに寝た。

 翌朝になって熱を測ると37度5分で、コロナの症状としてよく聞く体温だったので、嫌な予感がした。改めて抗原検査キットで調べると今度は陽性と出てしまった。のども痛く、まずは会社に連絡を入れる。家内とは隔離生活をすることにして、その後また寝入った。昼前に以前にPCR検査を受けたクリニックに電話をして検査を申し込もうとすると、その必要はなく発症から7日経てば会社に行ってかまわないという。そんなものかと思い、スマートフォンで神奈川県の対応を調べる。すると、コロナ罹患の登録をする必要があるとのことだが、その頃には喉の痛みや頭痛がひどくなっていて、PCに向かって面倒な登録をする気力がなくなっていた。しかも、感染の登録は任意だという。ということは、わたしのようにコロナ陽性となりながら届け出ないために、世間的に発表される「感染者数」に入らない感染者がゴマンといることになる。そういう人や、無症状の感染者がたくさん街に出ている可能性が高いわけで、考えてみれば恐慌状態で誰しも完全防備をしていた初期よりも、今の方がよほど感染リスクは高いのかも知れない。

 一日中寝ていた21日は朝こそ何とかお粥を食べられたが、その後のどの痛みが強まって食べ物はとれず、食欲もなくなった。のど飴やトローチは絶えず嘗めていないと痛くてたまらず、水はたくさん飲んだが、あとはビタミンなどの入ったゼリーや甘酒くらいしか喉を通らない。そんな状態が23日まで続き、24日朝になるとのどの痛みはピークを越えた。その間熱は38度9分を最高に、37度4分から9分あたりを行き来したり、時に36度台に戻ったりと乱高下した。熱の苦しさはあまりないが、頭痛と頭の重さ、肺の痛みと息苦しさが続く。

 24日の昼に恐る恐る茶漬けを食べてみると何とか喉を通った。ただ、やたらに塩からく感じる。その後だんだんわかって来たことは、よくコロナの症状として言われる嗅覚障害や味覚障害ではなく、味覚過敏のような状態になっていたようなのである。今まで普通に食べていたものがやたらにしょっぱい。逆に甘いものも無暗に甘く感じる。25日くらいから普通の食事に戻してみたら、ハンバーグの挽肉がやけに生々しい「肉片」の味がしてウッとなった。そして、野菜がとてもえぐく感じられるのである。あっ、と思った。子どものころわたしは野菜が嫌いだったのだが、あの当時に感じていた野菜の匂いや味がよみがえってきた。オトナになって野菜の好き嫌いはなくなっていたが、要するにそれは感度が鈍ったからだったのである。嫌いだった味と匂いをまざまざと感じて、味覚が過敏になっていることを実感した。嫌いな味を消すために醬油やソースを過剰にかけて誤魔化して食べているうちに味覚が鈍化したのかも知れない。しばらくうす味でも出汁の味をよく感じられたし、逆にカップヌードルなどの加工食品の得体のしれない添加物の味も感じて塩からくて食べられなかった。

 26日の月曜になってやっと寝室から書斎に移ることが出来て、溜まっていたメールを読んだり削除したりし始めるが、すぐに疲れて根気がなくなる。頭を使うと頭痛がするし眠くなってしまうのである。結局また寝室に戻って寝て過ごした。この日もう大丈夫だろうと抗原検査キットを再び使ってみると陰性であることが確認された。とは言え寒い中外出する気になれないし、年末でもあることから、27、28日は在宅でメールの処理に時間を費やした。