パリ断章 2

今回のパリで最大の収穫は、グランパレで開かれてゐるルドン展を観られたことである。夢想と幻視を誘ふ、「黒」を基調にした石版画や木炭画ももちろん魅力的なのだが、わたしの場合やはりルドンの「色」に魅かれる。パステルの花の美しさは比類がなく、また空の青さや背景に描かれた深いエメラルドグリーンからブルーに至る色彩はただただため息が出る。青色に塗られた横顔の絵(下図)がポスターやカタログの表紙、入場のカードにも使はれて今回の展覧会の目玉のひとつになつてゐるのだが、そのカタログから同時出版されたルドンの文集に至るまで、展覧会に合はせて出版された書籍の装丁の色が、すべてその瞑想的なブルーに統一されてゐたのはさすがであつた。

このルドン展のカタログがまた素晴らしい。50ユーロだが、其の厚さや装丁、中味の充実からすると割安感がある。図版ももちろん美しいが、各作品の解説も詳しく、さらに展覧会への初出展の記録とそれぞれの作品がいつ誰によつて買はれたかが順次記されてゐる。
また、巻末の年表も詳しくて、此れを読むだけでルドンの一生をある程度理解できる。其の中ではド・ラクロアやゴーギヤン、マチスといつた画家や、マラルメユイスマンスなどの文学者との交友がわたしとしてはとても興味深い。かなり重かつたがわざわざ持つて帰る価値は十分にあつた。
今回食事でもつとも美味しかつたのは、パルマンチエに近いビストロで食べたマグレ・ド・カナルのタルタルとサン・ピエールといふ魚である。鴨のタルタルは初めてだつたが、胡麻の味と食感が加はることで、口腔内の幸福といふべき至福を覚へた。ワインに詳しい友人が選んだコリウールの赤との相性も抜群で、わたしは珍しく「旨い」「これは旨い」を連発したほどである。
一方のサン・ピエールも今までフランスで食べた魚の中で一番旨いと思つたもので、其の後たまたまモンジユ広場のマルシエを通りかかつて魚屋が出てゐたので覗いてみたところ、サン・ピエールも並んでいた。横腹に目のやうな模様のあるのが特徴らしく、後で調べると鯛の仲間でマトダイといふものらしい。高級魚のやうだが、あつさりしてゐるのに肉質が粘るやうにしなやかで、この魚をもぐもぐと噛むこと自体が快楽となつて旨さが更に増すやうに感じられる。咀嚼といふものがこれほど味覚に影響を及ぼしてゐることに不覚にも今まで気づかずにゐた不明を恥じるばかりである。
メトロのプラツトホームに、次の電車が来るまでの時間表示が出るやうになつたのはいつ頃からなのであらうか。三年前に行つた時にはすでにあつたと思ふが、とにかくあれはなかなか便利である。東京のメトロを最近よく使ふが、定刻の表示は出てゐるものの大抵遅れて来るので意味がない。むしろ、後何分で到着といふ表示の方が親切だらうと思ふ。
泊まつたホテルの部屋にミニバーなどはもちろんなく、レセプシヨンの横に馬鹿でかい自動販売機が置かれてあって、コーラやスプライトの類が2ユーロもする。240円くらゐである。高いけれど、パリは快晴が続いて暑いくらゐであつたために、何度か飲んだ。日本ではまず飲むことはないのだが、フランスのスプライトは意外に美味しかった。