吉報

十二月十三日(火)晴
昨日は知人女性の出産の報に接し、今日は長らく独身を続けて来た知人女性が結婚を決めたとの報告を受けた。目出度いことは重なるもので、わたしにとつても嬉しいことである。ふたりには今まで以上の幸せな日々が続くことを願ふ。
かういふ、出産や結婚といつた世間並の幸福といふものを若い頃には馬鹿にしてゐたといふか、素直に受け入れられずに違和感を抱いてゐたのだが、何より大切な人との離別といふ悲しみを経て、今や「普通」であることが何よりの幸せだと思ふやうになつた。無気力でゐたり投げやりだから普通に堕すのではなく、大変な努力の末にやつと手に出来るのが普通の幸せであることが、やつと身に染みてわかつたのである。普通であり続けることが如何に難しいかを知つてしまふと、人は謙虚にも敬虔にもなるのではないかと思ふ。普通を失ふ怖さをも知るからである。感謝とは日々普通の生活を送れることに対するものであることが、わたしにもやつと理解できるやうになつたやうだ。
会社の帰りに藤沢の有隣堂にて筆格を購ふ。筆架とも言ひ筆を掛けて置く小型の衣紋掛けのやうなものである。来春のお初香の筆者に向けて書を再開し、筆の保護の為に必要と考へ購入。花梨製のもので筆十本ほど掛けられる。帰宅後早速嶺庵の文机に置く。なかなか様になつて文房の雰囲気がぐつと増す。さうなれば筆をとりたくなるのが人情で、ジムに行く予定だつたのを止め黄庭堅の伏波神祠書巻を臨書。此の年末年始はまた書に親しむことになりさうである。