京都の人

三月三日(土)晴
七時起床、シヤワーを浴び朝食の後八時過ぎI邸を辞して、門戸厄神より阪急を乗り継いで西院に至る。駅近くの道に赤いビツツで待ち受けたるはN子の知人で京都在住のM田さん也。嘗てN子が住宅建設会社に出向の際、宣伝に使ふ為同社で家を建てしM田家に取材で訪れ、其の後交誼が続くといふ。M田夫人は余と同年輩にて、長年京都は龍安寺近くに住む京の女性である。今回は親切に甘えて余も一緒に京都を案内して戴くことになり、しかも行く場所は余の希望による高雄方面也。挨拶を交し車に乗り込み、一路栂ノ尾高山寺に向かふ。神護寺始め此の方面は京都駅からも遠く中々行き難い地域にて、余は初めての訪問也。高山寺下の駐車場に車を停め、裏参道から坂を登つて石水院に行き着く。人影も疎らな落ち着いた山寺の雰囲気にて、新緑も紅葉もなけれど山の景色を眺めて閑雅な気持ちになる。
石水院
其れから茶園の横を抜け、階段を上がつて明恵上人御廟の前にて二尺三寸の尺八を取り出し、一礼の後献奏す。大和樂と松風の曲也。此の日は比較的暖かいとは言へ凛とした山の空気の中、竹の音が冴え冴えと澄み渡る心地がして実に清々し。其の後山の斜面に散在する諸堂を拝してから表参道を下り、車で来た道を少し戻り、途中で渓流方向に折れる道を辿れば西明寺也。渓流に掛る橋を渡り石畳の坂を登つて寺内に入る。大寺ではないが落ち着いた佇まひにて、受付の老婆が懇切なる解説をしてくれ寺の由来や建造物の変遷のあらましを知る。ちなみにM田さんも初めての拝観といふ。
更に道を進んで坂道の階段をかなり上るとやつと紅葉のポスターで有名な神護寺の山門に至る。想像以上に広い寺域にて、弘法大師在寺の頃の様子を遙かに偲ぶ。他に観光客の姿も見かけぬまま絶景の断崖より名物のかはらけ投げをした後大師堂前にて再び献奏を行ふ。M田さんは思ひの他竹の音が気に入つたやうでいつまでも聞いてゐたいと嬉しい事を言つてくれる。
神護寺
再び駐車場まで歩き、車にて市中に戻る途中M田さん手製の味噌の話が出て、急遽M田邸に寄つて味噌を戴く事になる。龍安寺近く、立命館大や余の好きな等持院にも近い閑静な住宅街に入り、M田さんは味噌を持ち来る。味見とて楊枝にて舐めてみるに其の味はひ筆舌に尽し難し。原料厳選の無添加なればにや、酒の肴にしたき絶品にて厚意に感謝する已。金閣寺に近き版画店を覗いた後西陣の近為なる京漬物の店に行き、奥にて漬物三昧の茶漬の昼食を取る。M田さんお薦めの店にて予約をしてくれしもの也。余は京漬物は大好物にてかねてより大徳寺近くにある大こうを贔屓にするも、此の近為の漬物も美味にて余は終にご飯五杯を平らぐ。此れにはM田さんも驚くも、口に合つた事を喜ぶ様子也。食後漬物を幾つか購ひ、再び車に乗り器の店を二軒ほど廻りご飯茶碗二客を買ふ。其の後ブライトンホテルにて一茶を喫し、M田さんとN子は久しぶりのおしやべりを愉しむ。其の後烏丸御池に近いホテルまで送つて貰ひ袂を別つ。ほぼ一日付き合つて戴いた訳で好意に謝するより他なし。荷物を置いた後再び外に出で御池通りから少し入つた小さな蕎麦屋にて軽い食事をとつた後三条通りを散策して宿に戻る。京都を五感で堪能せし一日也。