述懐

苛立つよりは力が抜ける。怒りよりも悲しみになる。批判よりも諦めになる。世の中に見聞きすること、身のまはりで起こる出來事に對する、最近の余の態度である。それでも、此の國の大部分の人間が、限りもなく愚かで節操がなく、雅致を解さず、無責任で志に欠け、不健康になりゆくことへの危惧を覚えずにはゐられない。せめて自分だけでもさうならぬやう心掛けるだけでは済まされぬくらゐ、社会全体の劣化が進んでゐるやうに思はれる。其を思へば、とても穏やかに暮らしてはをられぬ有様である。然しながら、一体何がさうさせてゐるのか、此の先どうすれば悪化の速度を少しでも緩めることが出來るのかについて、余は何も考へが及ばない。からうじて、かうして日乘に心情を吐露するのみで、世間に對してはじつと黙(もだ)して成り行きを見守るより他はない。我ながら情けないことではある。社會的に自らが果たさむとする使命や役割、責任や義務と、社會が自分に割り当て期待するものとの齟齬が余りに大きくなると、志そのものが萎むでしまふやうだ。余は現実の世界や社会を否定はしないし、存在しないものと割り切る事も出來ない。ただ、今の処は世間との距離をあけて、肩越しに入る様々な雑音から世間を判断してゐるに過ぎない。其の上で、幾人かの信頼に足る人々の書くものを読み、其の考へや思ひに響鳴する所大なるを見出して、些かの慰めとするのみである。