テレビについて

九月八日(土)晴
昨日『ヴイルヘルム・マイスターの修業時代』讀了。終つてみれば「チヤンチヤン」だが、面白かつた。ゲーテをまた少し讀んで、その後トマス・マンの『ワイマールのロツテ』に進まうかと思つてゐる。J.S.ミルの『大學教育について』を讀み始む。
『広告』といふ雑誌を讀んでゐたら蓮實重彦先生が中々良い事を言つてゐたので抜粋す。

テレビという媒体は、あらかじめ色気を排して成立している。テレビ映りがよいということはそれだけ色気を自粛しているから。

テレビは、くり返しによる「慣れ」が価値を持つ変化を排したメディアです。テレビを見てて不快なのは、撮っている人たちの側に、この程度でよかろうという現状維持の精神が画面を自堕落に彩っているから。

世の中にはわからないことも多々あるのだから、すべてを易しく説明したら、そこには必然的に嘘がまぎれこむ。いまでは平易に説明することが美徳のように思われています。しかし、それは、易しく説明できるものを易しく説明しているだけのことで、その説明によってあなたは一切変化することがないし、世界の大部分は説明されないまま残ります。