畫壇

三月十二日(水)晴
近藤啓太郎著『大観傳』讀了。大観を知るとは要するに天心を知る事に他ならない。天心について改めて興味を抱いたのと同時に、観山や春草との関係もよく分かつて得たものの多い讀書であつた。文展院展、二科展の関係や経緯も分かり近代日本の畫壇といふものについての基礎知識が得られたのである。もつとも、さうした事情にそれ程関心が向く訳ではない。今は日本美術院の面々よりも京都畫壇の人々に興味がある。作り手の個性やその意識や精神を核とする、近代的な意味での藝術といふものにどれ程の価値があるのか疑はしく思ひ始めてゐることもあり、旧弊と呼ばれるものにも良さを感じる為、大観や近藤の問題意識に余り共感できないでゐる。また、わたし自身西洋絵畫に興味を失つて久しいが、だからと言つてそれらが大観や近藤の言ふやうに日本美術よりも劣つてゐるとは思はない。とは言へ天心の美術の理解の仕方が氣になつて來たので、次には天心の『日本美術史』を讀むでみやうと思つてゐる。もともと大観に興味があつた訳ではなく、また近藤のことも知らずにゐたが、千夜千冊に此の本が取り上げられてゐたので、少し前に古本屋で見つけて買つて置いたのを思ひ立つて讀んだところ割合に面白かつたので、同じ近藤の『日本畫誕生』といふ本を今日アマゾンで註文した。