まとも

一月四日(木)晴
讀賣巨人軍が嫌ひである。村上春樹の小説が嫌ひである。デイズニーランドやデイズニーの作り出すものすべてが嫌ひである。ハリウツド映畫がそもそも嫌ひである。グローバリズムが嫌ひである。自民黨が嫌ひである。秋元康三谷幸喜の作り出すエンターテイメントが嫌ひである。若い女の子がたくさんゐるグループが嫌ひである。三人までなら良い。バラエテイ番組が嫌ひである。サツカーのサポーターなる連中が嫌ひである。大河ドラマが嫌ひである。今のテレビドラマがそもそも嫌ひである。全く見なくなつて久しい。日本人的な義理と人情が苦手である。徒党を組むことが嫌ひである。諂ふことが苦手である。威張つてゐる奴等は總じて嫌ひである。あいだみつおが嫌ひである。天才子役が嫌ひである。吉本の藝人は殆どが嫌ひである。二世三世議員が嫌ひである。薩長が嫌ひである。わたしは自分がかなりまともな感覺を持つてゐると思つてゐる。
今日、仏蘭西映畫『ルージュの手紙』を觀た。原題を直譯すると「助産婦」である。面白かつた。孤獨で寂しくそれでゐて確固たる自分を見失はない、くつきりとした人生の陰影を持つ人々が其処に居た。大女優カトリーヌ・ドヌーヴの壓倒的な存在感が、眞善美を超越してゐた。今年は劇場でたくさん映畫を觀るつもりである。