ビッグデータ

 数年前に聞いた話だから今もその通りであるかは知らないが、IT業界では2045年問題というのがあるそうだ。その頃にコンピューターや人工知能が人間の脳を超えるという。そうした時代の到来に備え、人間の究極の目的を考えるチームが、インテルなどには3000人規模で作られたのだそうだ。また、コンピューター技術者は、人間を超えたコンピューターの暴走を止める方策やルールを本気で考えだしているらしい。コンピューターは、すでにその出現時に人間が意図した目的から逸脱しており、あくまでも人間社会の利益をもたらす道具であらそうとする手段が必要という。当初の目的や規模から逸脱するのは核技術をはじめとしてよくあることではあるが、一方でコンピューターにとっては「電気」が神であり、絶対必要なものだから、電気に替わる代替エネルギーをコンピューター自身が考えだす可能性や、逆に人類を滅ぼしてでも原子力による電源を確保する可能性もあるという。全くSFじみた話だが、そういう話を聞けば聞くほど、わたしなどはいわゆるITの人たちの不遜さ傲慢さを感じてしまう。実際、IT産業の人びとはコンピューターテクノロジーの行く末を予想できるので、未来の社会や人間の姿を想像し、それに備えることで巨大なビジネスチャンスを構想できるのだという。現実の今のIT長者たちも、そうした状況が出現した神話時代の成功者ということなのだろう。この先の英雄時代の激しい闘争が予想される。後の世から見れば、21世紀初頭はコンピューターやAIの世界がまだ混沌としていて、創世記の時代に見えるというところだろう。

 ところで、マウスの動きすら解析してデータ化が可能な、いわゆるビッグデータの今後の動向が世界を動かすとはよく言われることである。本当にビッグデータで社会が変化するのであれば、ある特定の思想や感じ方を共有する集団の人口が極端に増えると、その独自の思考形式や慣習、嗜好の影響が世界に及ぶことも考えられる。たとえば、この先イスラム教徒の人口が増え続ければ、近代以降の主流を占めて来たキリスト教西洋の影響が色濃い、現時点での「世界像」が大きく変動する可能性もあるということだ。イスラム教徒は啓典の民であり、天国には人間の言動をすべて記録した「イッリーユーン」なる書物と、不義の者のそれを記録した「シッジーン」があるというのだから、もとからビッグデータの考え方には馴染みやすいのではないだろうか。

 それともうひとつ、IT業界ではフレーム問題というのがあって、要するにコンピューターは自ら枠組み設定を出来ないのに対し、人間は諦めたりフォーカスすることでフレームを作れるという優位性があり、逆にコンピューターがどのようにその壁を破るかということが問題になるということらしい。これなど、わたしにはよくわからないが、それこそ高山大人の言う「ピクチャレスク」という、わざわざ枠組みの中に入れた風景を自然の風景として賛美した時代の感性を考え合わせると、コンピューターのことを心配する前に、もう少し人間のして来たことに対する理解を深める必要があるような気もするのである。門外漢の駄弁に過ぎないが、ある時そういう話を聞いて、あれこれ考えたメモが見つかったので、単に自分の備忘のために記した次第である。