裸顔(らがん)

 昨夜は今年唯一の忘年会であった。麻布十番の店で、三十になったばかりのバツ1の若く美しい女性Sさん、彼女よりひとつふたつ上で現在妊娠中のAさんと私の計三人の密会である。何故か三人は気が合って、いつも楽しい飲み会になるのだが、この日はまたべつの発見があった。タイトルでネタばれだが、要するにマスクをはずした顔を突き合わせて話せることの親密さを味わうことが出来たということである。今は街中でも会社でも、マスクをした人しかみかけず、ましてや話をする時など必ずマスクをするので表情が読みづらく、自然と事務口調になりがちである。それが、少人数の打ち解けた会食の席では、こうしてマスクを外して表情を見ながら会話できるので、人の笑顔や表情の豊かさに見とれてしまうような感じがあった。ああ、今わたしはこの女性の裸の顔を見ているのだなという、スケベ親爺風な感動すら覚えたのである。一緒に食事をすることが、今やそういう意味でもきわめて特権的なものになっているような気もする。

 マスクをしていると、微笑んだり笑ったりしてもよくわからない人も多い。ふたりの元上司の女性部長が特にそうらしく、マスクをしていると笑っているはずなのに目が死んでいるのだという。わたしはすかさず、それは今まで口元の笑みにごまかされていただけで、本当は笑っていないことの証ではないかと言って笑ったのだが、確かに、マスクをしていても笑みのわかる人とそうでない人はいて、そうでない人に囲まれていると、電車の中でも街中でも、どんどん殺伐とした雰囲気になるような気がする。だからこそ、マスクをはずした裸顔のはじける笑顔を見ると、「惚れてまうやろー」になる可能性は高い。転職したSさんとは久しぶりの再会だったこともあり、彼女の裸顔の美しさに見とれた一夜であった。