国家神道

島薗進著『国家神道と日本人』読了。国家神道なるものの成立とその内実の極めて明快な見取図を与へてくれる好著だが、若い頃に村上重良の『国家神道』や『天皇の祭祀』を読んで大いに啓蒙された気になつてゐた世代としては、其の偏りや誤つた認識を指摘されてやや狼狽へるところがある。村上の論説や認識についてどれ程理解し記憶してゐたかは別として、当時村上説を鵜呑みにしてものを考へてゐたのは確かだし、神社や神官に対するわたしの抜きがたい不信感もまたさうした考へ方に由来してゐるかも知れないからである。特に神社神道国家神道の前提であり不可分な存在とみなす村上の考へ方の誤りは、わたしを含め今も多くの人がそのまま受け入れてゐたことであらうと思ふ。島薗によれば、神社神道と言はれるやうなものは、国家神道を確立して行く中で組織化されたものであるし、神社神道が出来てからも必ずしもすべての神社が国家神道の堅固な構成要素ではなかつたといふことになる。戦時中をモデルにして構築された村上の国家神道観を下敷きにすると、「国家に支えられた神社や神職層が国体の教義や軍国主義・侵略主義の主な担い手だつたかのやうに見えてしまふ」が、そんなことはないのであつて、国家神道とその宗旨である天皇崇敬や国体の護持を広く国民に浸透させたのは、神社ではなく教育勅語に始まる学校教育の方だつたのである。歴史的経緯から見ても「文部省」といふ官衙明治維新後の国家理念、すなわち天皇崇敬を中心とした祭政一致国家確立の為の機関であつたことは明らかである。其の辺の事情は神仏分離を巡る最近のわたしの読書からも伺い知ることが出来る。教科書問題といふのはもしかすると其処にまで溯つて論じない限り解決されないのかも知れない。
また、これまで今ひとつよく分からずにゐた、後期水戸学派と国学者たちの思想の関係も本書によつて少し分かるやうになつた。特に維新前後の対平田派勝利によつてもたらされた津和野派主導の神道行政と其の結果、或いは「皇道」といふ概念と「国体」の概念との関はりも明解に示されてゐて参考になつた。天皇親政や祭政一致といふ掛け声と儒教的な思想との親和性の由来、また祭政一致政教分離が矛盾無く共存するからくりについても得るところが大きかつた。とにかく、村上重良を読んで曲がりなりにも影響を受けた人には、読んで欲しい本である(今年七月の刊行だから、わたしとしては珍しく新しい本を読んだことになる)。
国家神道を正しく理解することは近代日本の宗教史・精神史を考へる上で不可欠のみならず、この点を曖昧なままにして為される「日本人論」的言説の精神史的な背景を読み解くキーになると島薗は言ふ。その通りであると思ふが、一方で、維新後の神仏分離廃仏毀釈を経た仏教界と皇室や皇道との関はり、国家神道との関係を理解することも重要であらう。ただし、こちらは未だ研究が十分に進んでいないやうだ。仏教界の戦争協力といふやうなセンセーシヨナルな話ばかりが先行して、神仏混淆や西洋思想の影響もあつたはずの仏教界が一体どのやうに物を考へて天皇崇敬に与して行つたのかについて、きちんとした問題意識のもとに考究されてゐない印象がある。島薗や末木文美士の著作を今後追いかけて行くつもりなので、或いはその考察や究明が為されてゐるのかも知れないし、わたしの不勉強のせゐで知らぬだけかも知れぬが、興味のある問題である。王法/仏法論ではないが、日本仏教に染み付いた国家との癒着の痕跡と近代の精神史がうまく折り合はない思ひでゐるのはわたしだけではあるまい。
ところで、一部の旧官幣社を除いた地方の多くの神社及び祭神は、そもそもが古事記日本書紀、或いは古語拾遺の造り上げた(=捏造した)、天皇家中心の神々の序列と関係なく祀られ存在して来たものが大半であつたのに、明治になって皇室祭祀と伊勢神宮を中心としたヒエラルキーの中に無理やり位置づけられ、しかも国から大した財政的援助もないまま「国体」や「皇道」の宣教組織とされた上に、戦後になるとGHQから皇室祭祀には手をつけぬまま、まるで国家神道の当事者であるかのやうに神社神道の解体を促されるといふ風に、明治維新の後は受難の連続だつたとも言へさうである。其の積年の鬱憤を晴らすべく、伊勢/天皇家皇祖神を軸とした現行神社本庁の序列とは別の、天皇を必要としない神々の体系を模索する動きがあつてもよささうな気もする。それこそ月山などに見られる、山や磐に対する日本人の素朴な畏敬の念からなる「神」の復権であり、鎌田東二の考へてゐる事に近いが、末木文美士からは古代を理想化しすぎてゐると批判されるだらうか。まあ、神々の長い歴史の中では明治以来の為政者がたまたま国家神道なるものを構想して其の中に位置づけられたといふだけのことで、信長や秀吉の崇敬を得たり、幕府から庇護を与えられたのと基本的に変はらない、時の権力者との間に起こつた出来事のひとつに過ぎないのかもしれない。