大阪の夜

三月朔日(木)陰
七時前N子と倶に家を出で新横浜に往く。待合室にて岳母の社中に居たA木君に遇ふ。全くの奇遇にて新幹線も同じ列車也。名古屋に出張といふ。十時過ぎ新大阪に着き、N子と袂を別ち余は出迎への営業U氏の車にて得意先に赴く。午前中一件用談の後昼食を取つてから大阪支店に行き、午後別の営業M氏の車にて奈良県の得意先に往く。三時過ぎ用向きが終り、比較的暖かい事もありM君に無理を言つて途中の廣瀬大社に寄る。参道を歩んで社殿を拝し、御神符を購ひ、其れから参道横の林にて竹を吹く。大和樂の後松風を三回程吹き、更に人影も疎らな参道を歩みつつ松風を吹くに、歩きながら尺八を吹く難しさを初めて知る。頭が上下し顎も動けば唄口への角度一定せず、音律を保ち難し。虚無僧の技量の優れるを知る。其の後車に戻り、支店に帰る途上にある肥後橋のホテル前にて余は降り、先にチエツクインを済ませて荷物を部屋に置いてから外の喫茶店に行き珈琲を啜りながら読書。其のうちN子よりメールがあり、再びホテルに戻つた後二人で近くの寿し元に行く。既にN子の仕事上の得意先であるK藤氏とNさん在り。余は初めて会ふ方々也。先方の好意により、N子の結婚を祝し退職を惜しんで設けたる席に余も呼ばれたるもの也。K藤氏は海外メーカーの日本法人の社長にして岸和田に住み、和歌山に海と山の別荘を各々持ち、パリにも別宅があるといふ方で、奥方は仏蘭西人なるも今回同伴のNさんは一周りも歳の離れた愛人也。実に羨ましき身の上なるも、ご本人は至つてきさくで温厚な紳士にて、骨董の話から茶室の話まで会話を弾ませながら、獺祭や立山を飲みつつ海鮮の馳走を頂くといふ楽しい時間を過ごす。又出身中学が余と同じ市の学校なることも判明し、地元話で更に意気投合す。尚K藤氏は嶺庵が仏蘭西語のNéantから来る事を最初に見抜いた方にて、氏は今度自らの茶室をSoinから取つて楚庵にしやうと考へてゐるとの事。中々気の利いた庵号であらう。骨董古美術について教はる事多々あり。N子の縁なるも、今後ともお付合ひ戴きたい方と亦も邂逅したる心地也。九時過ぎ店を出て四ツ橋筋にて袂を別ち、余とN子は宿に帰る。飲み過ぎにて酩酊して直ぐに就寝。