ほとんどの日本人

七月六日(木)晴
今、子安宣邦著『「近代の超克」とは何か』(青土社)を読んでいる。子安には『漢字論』を読んで以来注目していて、最近も『「大正」を読み直す』によって、大逆事件の意味や津田左右吉のラディカルさを教えられたり、吉野作造河上肇の凡庸さに気づかされたりと、大いに刺激を受けたばかりである。
そして、今回は近代の超克について知ろうと首記の書を読み始め、今日から見れば極めて問題の多い京都学派による戦前戦中の論説についての検討や、昭和研究会による侵略戦争に関する苦しい詭弁についての行論まではふむふむと読んで来た。ところが、である。「宣戦になぜかくも感動したのか」と称する章で、昭和十七年十二月八日の日米開戦時に大詔渙発を受けての知識人たちの感激や感動を紹介し、「開戦の報道は、ほとんどの日本人を大きな感動の渦のなかに置いたという事実」を言い立てるに至って、ちょっと待てよという気分になった。昨日読み終えたばかりの小熊英二の本の記憶が真新しかったこともあるが、開戦時の反応として、ここで紹介されているような感動を示すものを、私は読んだことも聞いたこともないのである。そしてすぐさま、子安が題材としているのが、ことごとく「知識人」の書いたものであることに思いが到った。要するに、文章をものしそれを発表する手だてを持った、当時としても極めて少数の知識人の言説をもとに、それを「ほとんどの日本人」の反応と考えてしまう、知識人中心史観とでも言うべき発想で書かれたものだったのである。
開戦に対し、シニカルになったり絶望的になったり、悲観する反応は山ほど読んで来たが、感動するような日本人がいたことは、私はこの本で初めて知った。最近私が読んだものの中では、むしろ軍人や外交官の「その日」の様子を記したものが多かったが、大抵は「馬鹿な戦争を始めやがって」という反応だったのである。いや、それとても、書いたり語ったりできうる人々の証言である。戦後になって回想的にあの日のことを書けるのは、軍人や外交官の中でも文筆に秀でた「知識人」かも知れない。ちなみに、昨日の本で語っていた小熊の父謙二のその時の様子はと言えば、当時早実に通っていた謙二が学校に行くと、公民の教師がひとり上機嫌だった他は、教師たちは皆静かだったという。もちろん、謙二自身も開戦に浮足立つことはなかった。
知識人や言論人が喜んだり感激したからといって、下々の庶民まで同じ反応をするとは限らないし、本当の知識人なら無謀な戦争の愚かさをきちんと理解できていただろう。それなのに、ほんの一部の人間が書いた感激の文章をもとに、「ほとんどの日本人」と言い切ってしまう、この子安の迂闊さをどう考えたらいいのだろうか。
子安は思想史家なので、思想として表現されたもののみを対象とするのだから庶民や一般人の感想や反応を考慮する必要はないとする立場はあり得るとは思う。ただ、これまで子安の論説に大きな刺激を受けて来た一読み手としては、たまたまこれが端的に現れ出ただけで、そもそもその論理や考察に強引さや飛躍があるのではないかという疑念が生じたのも事実である。何人かの政治家や法律家や歌人の開戦への感激を驚きとともに「発見」した子安が、それをすぐさま「ほとんどの日本人」の反応だったと敷衍してしまう不用意さは、書物全体で論じられている事柄が興味深いだけに、やはり気になるのである。
その背後には、小熊謙二のものの感じ方や、戦争を含む世間の出来事に対する反応が、私の両親や親戚といった、私が知っている人たちのそれらにとても似ているように思われ、ものを書き残すことなどない普通の庶民の感じ方というのは、思想史の対象となる言説とはかなり違うのではないかという、昨日読み終えた本を読んでいる最中から感じていた思いがあるのかも知れない。言い換えれば、たとえ「思想史」であっても、書かれた思想だけを対象に、時代やその社会から切り離して論じることに意味はあるのかということである。小熊英二も戦後長らく平均的な日本人、「普通の日本人」像として通用して来た「サラリーマン」なるものが、実際には労働人口の中の決して多数派でなかった事実を指摘し、社会学歴史学の視線から抜け落ちて来た、本当の意味での「普通の日本人」の歴史を残すことの重要性を述べている。同感である。そして何より、今から見れば狂気としか思えぬ「思想」に振り回され、戦争で苦難を味あわされたのが「普通の日本人」であったことも忘れてはならないことであろう。思想を煽った人々は、その道具であることばに長けているから、状況に合せてどんな言説も捻りだすことが出来るのである。開戦の日に感激し、『大東亜共栄圏植民論』なる本を書いた住谷悦治という人は、戦後はカラリと民主主義・平和主義の発言者として活躍していたという。何をかいわんやである。その一方で、思想や思いをみずから文章にしたり表現したりすることをしない「普通の日本人」は、開戦に感激もしない代り戦後も節操を失うことなく、ただ坦々と日々の暮らしを続けて来たのであろう。そのもの言わぬ人々の心の底に流れるものを汲み取るのが、あるべき「思想史」なのではないかと思った次第である。