思ひ・ため息・ひとり言

三十分

体重が増えてどうにもならなくなり、減量のためひとつ手前の港南台駅から歩いて帰宅するようになった。少し上った後はずっと下りが続く道程なので、それほど苦ではない。だいたい三十分の距離である。本郷台の駅周辺は店も少なく賑わいもないが、港南台はそ…

依怙地の一徹

こどもの頃から依怙地で損ばかりしてゐる。三歳で民宿の二階から階段を転がり落ちたのを宿の人が上手く抱き取つて呉れたのが氣に入らず、直ぐに階段を昇つて落ち直して大人たちを唖然とさせたといふ。五歳になつて錢湯の歸りに夜店で賈つて貰つたおでんのつ…

ジャン-フランソワ・ラティ

ジャン-フランソワ・ラティが亡くなった。 Givenchy Ⅲ, Lumiere(Rochas), Jazz(YSL), Eau Dynamisanteなどの作者として知られるパフューマーである。年明け早々に亡くなったと、香水の情報サイトにあった。悲しい知らせである。最後に会ったのは25年くらい前…

自軽自嫌

五月十五日(火) 表題とした自軽自嫌などということばは勿論存在しない。自重自愛ということばを単純にひっくり返しただけである。ただ、馬齢を重ね、最近いかに自分がうかうかと生きて来たかを実感して心底がっかりしている身としては、この表現の方がしっく…

驚き

五月五日(土)晴 イチローの特別補佐就任には驚いた。ここ数年不遇というより他ない起用のされ方が続き、実際に成績も残せない中ではあったが、寂しい限りである。それでも常に野球と正面から向き合い前向きに練習を重ね、決して腐らず独特の哲学・美学を貫く…

暗寂

十月三十日(月) 眠れぬ日々が続いている。時差ボケのせいばかりではない。つらつら自分の人生を省みて無念と寂寞の思いを抱き、この先を考えて不安と焦慮に苛まれる。私はどこか暗い影のある人生を歩んで来た。性格と境遇が相俟ってそうなったことは分かって…

悲喜こもごも

十月二十七日(金)晴 清宮君が日ハムになったのは本当に良かった。巨人にならなくて本当に良かった。中村君の広島もよかった。それなのに自民党に投票する有権者が48%もいることに絶望する。安倍でいいと本当に思っているのだとしたら、驚くべきことである。…

京都嫌ひ

十月八日(日)晴 大徳寺曝凉展に行く。牧谿の水墨画、大燈國師の書など見るべきものあり。 京都はとにかく人が多くて住民觀光客を問はず傍若無人の振る舞ひが東京にくらべても多く、街を歩いてゐても何だか落ち着かない。ホテルは馬鹿馬鹿しい程高くなり、ど…

悲惨な国

九月二十五日(月)晴後陰 テレビで安倍が出て来るとチャンネルを変える。あの声を聞くだけで反吐が出るのである。狂人に近い指導者を選んだり、頭のおかしい独裁者が君臨している国も悲惨だが、あんな誠実さのかけらもない右翼の首相がこんなにも長く政権を持…

ペシミスティック・ジャパン

五月十五日(月)陰 人生の敗者として日々の憂愁はいよいよ深さを増して来た。何に対しても興味を持ち得ぬ時間が続き、自分の身体や頭の中が空洞化していくような感覚がある。未来に希望はなく、振り返れば後悔ばかりである。心は固く閉ざされ、笑うことも滅多…

不如胃再發

弥生二十二日(水)陰 此の處ずつと胃が痛み昨日は胃カメラの檢査を受けた。其の際胃の細胞を切り取つて生體檢査に出したらしく結果は二週間後にならないと分からない。今日は會社で嫌な事ばかりあつて、歸宅して酒でも飲まねば居られぬ氣分であつたが家人はな…

成れの果て

一月二十三日(月)晴 最近つらつら思うのは、自分の人生が結局スカだったということである。死ぬ前に人生を振り返った時に後悔しか感じないであろう、失意と挫折の連続だったように思う。何ひとつ成し遂げられなかったし、何ほどのことも残せなかった。ただ…

老いの哀しみ

十一月十日(木)陰後雨 年史の資料として社内報を読み返している。当時は何気なく読み捨てていたものだが、後になって通観すると、時代を映す鏡としてきわめて貴重な資料である。ちょうど、自分が入社した頃を境に、会社も社会も大きく変わり始めたのが見てと…

無為徒食

十月二十七日(木)晴 元居た部署の営業報告会に出る。もはや自分が完全な部外者であることを痛感し、寂しさと疎外感を禁じ得ず。改めて考えれば、その部署から戦力外通告によって放り出された訳であるから、恋々として関わりを保とうとするのは惨めな話であろ…

窒息

十月十八日(火)晴 職場での窒息感が強まっている。息苦しく頭が重い。自分がやっている仕事が無意味に思え、こんなことをやらされている自分は会社にとっても社会にとっても無用なのではないかという気になる。自分の感じ方や思いを共有して貰えそうな人は…

意気阻喪

八月朔日(月) 八月になりやつと夏らしい暑さに成つて來た。七月は割と人に會ふ機會や飲み會も多く、それなりに樂しく過ごしてはゐたのだが、此のブログを含め「書く」氣力が頓に失はれて久しい。日常生活の雑事、職場のストレス、氣掛かりなことの存在。其れ…

無欲化

六月十日(金)晴 水曜の夜野毛で元居た事業本部の後輩二人と飲む。嘗ては楽しい仲間であったが、今や会社を背負って立つ二人とは立場も違うせいか、職場や仕事の話題中心の彼等に付いて行けず。また、会社の人間たちや状況に対して思う事にも微妙にズレが生じ…

気散じ

六月朔日(水)晴 昨日は午前中研究から元同僚の女性二人が来ていたので昼ご飯を倶にして随分と気が晴れた。二人とも私が現職場でげっそりと疲れた表情で居るのに驚いていた。研究に居る頃とはおよそ顔つきからして違うらしい。それにしても彼女たちは一緒に働…

迷走

五月三十日(月)雨 新しい職場に移って二か月。全く慣れない。日々元気が無くなり、歯を喰いしばって頑張ろうと思うのだが、気力が萎えて行くのが自分で分かる。職場で挨拶以外に話をすることはなく、ひとり黙々と資料を読む。社史編纂室が窓際族の墓場だと言…

囘歸

四月十三日(水)雨後陰 何もかもが嫌になることが年に何度かはある。ひとつひとつは大したことではないが、意に沿はぬことや落胆することが續いてすつかり意氣消沈してしまふのである。鬱鬱として樂しまず、何もやる氣が起こらない。職場の息の詰まるやうな環…

訃音

一月五日(火)晴 昨日來脳幹から後頭部にかけて鈍痛があり、吐き気や眩暈もあつて病院に行く事も考へたが、今朝やや快方に感じたので會社に出掛けた。仕事始めである。所長代理格の執行役員のつまらぬ説示を拝聴して職場に戻ると、社内イントラネツト上に元取…

二百年

一月三十日(金)雨 此の處文化年間の出來事と大正時代の事物を同時に調べることが多く、其の違ひに愕然とする事屡(しばしば)である。其の間約百年。そして大正四年から今年が矢張り百年である。つまり、文化十二年は二百年前になる訳である。此の三つの時間を…

冷たい雨

一月二十ニ日(木)雨 此の處仕事が忙しく、亦其れが樂しい。仕事と讀書と執筆のバランスも良く日々充實してゐる實感があつた。然るに會社での余の評価は底を打つた儘であるらしく、竟に同期入社の連中からも總スカンを喰らふに至つたやうである。即ち同期での…

今年の漢字

乙未元旦 余の本年に向けた氣持ちと期待を一語で表はすと「動」である。五十肩で固まつた肩が何とか動いて、動作をスムーズにしたいし、移動を厭はず活動的にとにかく動き廻りたい。感動もしたいし、異動もあるやも知れぬ。動機は不純なれども煽動もし、動轉…

好き嫌ひ

十二月三十日(火)晴 余は好き嫌ひがはつきりしてゐるとよく言はれる。確かに、その極端さは特に好きだつた人が嫌ひになつた際に激しい。先日も、今まで大のお氣に入りだつた職場のTといふ若い女性を一氣に嫌ひになつた。此の女は、余の愛する能年玲奈の「あ…

敵を知る

十二月四日(木)陰後雨 最近になつてやつと、自分の敵が何処にゐるのか、どういふ連中が余を敵視するのかがわかつて來た。意見が衝突したり、利害が對立する人間が必ずしも敵である訳ではない。自分の甘さに改めて驚くのだが、敵は余のことをよく知る人たちの…

不可能の憂鬱

九月八日(月)陰 五拾肩がまるで良くならない。毎日柔軟運動を繰り返してゐるのに、痛みは去らず可動域も拡がらない。 もうゴルフも水泳も、キヤツチボールさへ出來ぬのであらう。混んだ電車に乘ることも出來ない。押されて無理な姿勢から吊革に腕を伸ばす事…

ホット・ショア

八月二十二日(金)晴 会社を休みリハビリテーション病院に往く。右肩や背中のマッサージを受け、可動域も少し広がり痛みも若干楽になる。肩や腕だけの問題ではなく、腰から背中も張っていて、そこからほぐす必要があるようだ。肩が痛むのでストレッチや軽い運…

諦念延長

八月十九日(火)晴 その時私は二十一歳だった。どういう状況だったかまるで思い出せはしないのだが、とにかく私は虚無を見た。「虚無に達した」と自分では言っていた。ああ、そういうことだったのだ、とすべての謎が解けた気がしたのである。物質や生命や時間…

四苦八苦

六月三十日(月)陰 熟々思ふに思春期の頃の余にとりて、文學とは社會や他者から逃れる為の手段に過ぎぬものではなかつたか。身の廻りの人間や同じ時空に生きてゐる人たちとの関りをとにかく厭ひ、此の世の孤独は生得と諦めて、僅かに過去の文人や詩人たちの殘…