2015-01-01から1年間の記事一覧

カタログ

七月六日(月)雨 京都で古本屋をしてゐる小父さんの處で、IFFといふ香料會社のカタログを見てゐる。原料となる香料単品が載つてゐる筈なのだが、よく分からずにバーコードのやうなものがあるので其処をクリツクすればいいのかと思つて押すが、コンピユーター…

いぢめ

七月三日(金)雨 平塚の七夕が大嫌ひなので會社を休んで一日調べものを為す。梅雨といつても輕い雨が多かつたのに今度のは激しい雨である。休んでよかつたと思ふ。 世上「マタハラ」なる言葉を耳にすることが多くなつた。マタニテイ・ハラスメントの略語ださ…

新語

六月二十九日(月)晴 新しい言葉を思ひついた。「飼ひ生き返り」である。元の言葉は勿論「飼ひ殺し」であるが、そのやうな状況に追ひ込まれながらも、それを逆手に取つて自分の新たな境地を切り開いて生き生きと暮らすことを指す。余の切に目標とする處である…

茶會

六月二十八日(日)晴 絽の御召を着て家人と倶に八時前家を出で、電車で赤坂見附まで往き徒歩ホテル・ニユーオオタニに到る。九時半よりメインアーケードの宴会場にて煎茶道東阿部流五世家元襲名二十周年記念茶會に参席。六席ある中の五席に入り、三時過ぎ辞し…

椅子到着

六月二十七日(土)陰 午前書齋用に買ひ求めた椅子が届く。今まで革張りの椅子を使つてゐたのだが、大き過ぎて邪魔な上夏場は背もたれが蒸し暑く黴も生えやすい。しかも、ボルトが欠けて高さ調節も出來なくなつてゐた爲、思ひ切つて購入を決めたのである。先週…

ダブルブツキング

六月二十二日(月)晴 會社が用意した簡易宿泊施設で目が覚めた。体育館ほどの廣さにたくさんのベツドが一基づつ獨立して並んでゐる。皆白いシーツが敷かれて清潔な感じがする。七時過ぎらしく既に身支度を始めてゐる者もあるが、會社はすぐ近くなのであるから…

色々な出來事

六月十七日(水)陰 高臺にあるリゾート風露天風呂ないし温水プールである。水着にゴーグルを付けたわたしは皆を驚かさうと潜水を試みるが尻が浮かんで潜る事が出來ない。失笑を受けながら何度目かに深く潜ることに成功する。階段状に深くなつてゐて、相當な深…

梅雨

六月十日(水)晴後陰 梅雨である。皆梅雨に入つたことを憂鬱さうに言ふ。余は日本らしい良い季節になつたと思ふ。すつかり忘れてゐた場所にきちんと紫陽花が咲いてゐるのを見ると、季節の巡りの確かさに驚くやうな嬉しいやうな氣になるのである。湿気の多い気…

寝てゐる人

六月七日(日)陰 絶對に來ぬ人を待つて銀座の街頭に立つてゐる。百貨店の入口のやうな處である。待合せなのか私と同様に立つて待つてゐる人が多い。中に知つた顔もあるのだが、互ひに知らぬ顔をしてゐる。來ないのは分かつてゐても、もし來たとしたら彼ら彼女…

仕事

六月五日(金)晴後雨 轉居して荷物の片づけをしてゐると電話が鳴つた。取ると相手は英語でレブロン社のトニー・ローマ氏であるといふ。私の勤める會社と取引をしたいのだが、私に是非窓口になつて欲しいとの事である。そして、他の香料會社は二社すでに提案プ…

《津山藩醫井岡道安とその時代 ― その六 》

九、明和六年の東洞と京 補説 前號の最後に、明和六年を一般には馴染のない時代ではないかと書いた。其れは主に文化史的な意味合ひでさう言つたのであるが、改めて考へてみると幕政史としては決して閑却されてゐる時代ではないことに思ひ至つた。すなはち、…

蹴球の試合

五月二十九日(金) サツカーの試合を見に行く途中である。同行は徳田ともう一人。試合は夜からであるが私は晝のままの薄着で來てしまつたので、夜になつて寒くならないか心配し始めてゐた。寒くなつたらスタジアムで賣つてゐるパーカーでも買ふしかあるまい。…

夢の斷片

五月二十八日(木)陰 會社のN君が夕方から山に登ろうとする。余ともう一人が同道してゐたが、これからでは直ぐに暗くなつてしまふし、夜になつたら山歩きは絶對に不可能であるからと斷念させて街に戻る。既に街灯が点いて通りはからうじて見えるが背後の山は…

微妙な違ひ

五月二十七日(水)晴 先日BS放送で映畫『陽暉楼』を觀た。池上季実子が思ひの他美しく魅力的であつた。今でいふ石原さとみに似た雰囲氣である。余は石原さとみも大變好んでゐる。今三菱銀行のネツト廣告は石原で、三井住友の吉高由里子は余の好みではないから…

頭痛と咳

五月二十四日(日)晴後陰 茶の湯の稽古日なるも體調復せず一人家に殘る。頭痛甚だしくクモ膜下出血の前兆かと惧るる事大なり。家人歸宅後ツボ押しなどして貰ひ頭痛俄かに去るも咳は續く。風邪らしき症状がずつと續いてゐる訳だが熱は出てゐない。此処數日ろく…

文樂谷中

五月二十三日(土)晴 喉の痛みは殘るが昨日より調子が良いので、塩澤の一重の着物を着て車で國立劇場へ行く。文樂五月公演、吉田玉男襲名披露公演を觀る。口上は傳統藝能らしい語り口で面白く聞く。三時半に終り車で谷中に移動して車を停め散策。路地の片手間…

體調不良

五月二十二日(金) 昨日喉が痛み頭痛もするので早退して家で寝てゐたが囘服せず本日も休む。終日床に在り。現代の歌人の歌集一冊を讀み了へる。

探墓二箇所

五月十七日(日)晴 八時過ぎ起床。體調が戻らなければ其の儘歸濱のつもりでゐたが、思つたより囘復したので無理せぬ範囲で予定の行動に移る。京都驛より奈良線で東福寺に往き、臥雲橋から青もみじを眺めつつ荘厳院に至り、吉益家の墓を掃ふ。入つてすぐの處に…

東洞とシムポジウム

五月十六日(土)晴、暑し ホテルで朝食の後地下鐡で京都市役所前に行き寺町通りを上る。革堂近くに古い寫眞館を見つけるが殘念ながら井上寫眞館ではなく小林寫眞館であつた。當ては外れたが、だからと言つて明治の終りに此の近くに井上寫眞館がなかつたことの…

天國から地獄

五月十五日(金)晴 夏場に温泉に入ると夜に體が熱くなり過ぎて夜中布団をはいでしまひ、結果として朝冷えて風邪を引くことが多い。今囘も似た感じの朝になつたが、兎に角急ぎ家に戻らねばならない。八時過ぎしんちやんの店に寄つて挨拶をして歸りは箱根新道経…

松崎再訪

五月十四日(木)晴 家を八時過ぎに出で車にて伊豆に向かふ。今囘は直接松崎に行くので新東名の長泉インターで降り伊豆縦貫道を通つた爲案外早く十一時半に松崎に着いた。少し早いが鰻の三好本店に入る。先日名古屋で食べたひつまぶし備長本店の鰻が驚く程不味…

嶺庵茶話會

五月六日(水)晴 會社の元上司H氏、同僚S氏を迎へ久しぶりの茶話會を開く。一時半鎌倉のH氏邸にS氏と車で迎へに行き二時前來着。煎茶、聞香、薄茶、吹禅の後懐石となり、黒牛吟醸酒にて酒食と歓談を樂しむ。九時半過ぎ散會。樂しい一日となつた。尚、此の…

象山詣で

五月四日(月)晴 上田から松代に移動。海津城跡、文武學校、真田家、真田寶物館の順に見た後日暮し庵にて蕎麦の昼食。更に象山神社及び象山記念館を訪れ佐久間象山先生の遺事を偲ぶ。神社内に京都で營みし茶室煙雨亭や、石黒忠悳と對面せし高義亭あり。また生…

名香鑑賞會

五月三日(日)晴 宿にて和服に着替へ車にて名古屋市内徳川美術館に赴く。名香鑑賞會に参席する爲也。九時半受付に行くもほんの僅か遅れて第二席となれば、待つ間まづ徳川園を散策す。十一時前より山ノ茶屋にて薄茶席に入り喫茶。岡谷家旧蔵黒織部の沓茶碗を見…

番器珈琲焙煎店

五月二日(土)晴 午前家を出で車にて東名高速道路を西下。休み休みで四時過ぎ名古屋市天白區の友人が經營する珈琲焙煎店「ヴァンキ・コーヒー」に到着。突然の訪問なるも談笑小半刻を過ごし、珈琲豆を購ひて小牧に移動し投宿。夜大口町のひつまぶし備長なる鰻…

歓迎會

四月二十四日(金)晴 この四月に入社した新入社員が余の職場で研修をしてゐたが、一區切となつて此の日歓迎會が行はれた。余は研修に一切關はつてゐないので初めて見る若者ばかりである。余の會社には所謂ドキュン・ネームと呼ばれる、知能の低さうな親の付け…

歴史と慚愧

四月十七日(金)晴 戰争や動乱や權力闘争といつたものに余り興味はない。余が歴史といふ言葉で考へるのは、寧ろ平時の普通の人の暮らしや感じ方や考へ方の方である。取分け江戸中期から後期の人々に關心がある。勿論直接その時代の人々の姿を見たり彼らに本心…

《津山藩醫井岡道安とその時代 ― その五 》

八、 吉益家門人帳 この通信百號の最後で、道安が醫術のどの學統學派に學んだかについて知る可能性のある資料として、東大の醫學圖書館の呉秀三文庫に所蔵されてゐる『吉益家門人録』(以下『門人録』)について触れた。これを閲覧しようと思ひながら中々果た…

冴えない春

四月十四日(火)陰後雨 今年の春を一言で表現すれば、冴えない春であらう。雨が多く氣温も低く、櫻も満開のタイミングが春爛漫とは遠いものであつた。八分咲きの頃は暖かく、満開の頃に寒くなつて、二分散つた後の花が寒々と雨に濡れ、花びらは路面に張り付い…

文献探索

四月十一日(土)晴 午後八景島に近い福浦にある横濱市立大學醫學部内の醫學情報センターに赴く。所謂圖書館である。まづ市民利用登録をして利用カードを作る。其れから館内の案内を貰つて探してゐる文献の保存場所の見當をつけてから近くの席に荷物を置く。學…