2013-01-01から1年間の記事一覧

末丗

十一月二十六日(火)晴 稀代の惡法、特定秘密保護法衆院通過。長州人首相の暴走止まる処を知らず。唾棄すべき丗となれり。明治の讒謗律、新聞紙条例に治安維持法を足したるが如き、独裁政治の始まりならむ。嘆くべし。怒るべきはみんなの黨とやらの変節である…

献奏大會

十一月二十三日(土)晴 晝過ぎ新宿區牛込原町の法身寺に赴く。第三十二囘虚無僧追善供養尺八献奏大會に遅れて参加。丁度如覚が布袋軒三谷を吹いてゐる処であつた。その後各参加者の演奏を聴く。流派や傳承者の違ひに依り様々な吹き方があるものだと毎囘驚く。…

一讀瞠目

十一月二十一日(木)晴 前田愛著『成島柳北』讀了。今まで此の著者の力量を見誤りてゐたり。忸怩たる思ひを禁じ得ず。柳北その人とその生きた時代を活寫する洞察と考証、正に瞠目すべきものあり。柳北を知るのみならず、初めて前田愛を知る。早速同氏著『幕末…

有松の師

十一月二十日(水)晴 此の日竹田耕三先生の訃報に接す。有松絞りの老舗竹田嘉兵衛商店當主にして絞りと藍染の作家としても高名な方にて、余は一昨年の夏家人の紹介にて有松の御邸を訪ね知己を得たり。物静かながら優しく気さくな方にて多忙の中半日お付合ひく…

車内熟讀社内紛擾

十一月十九日(火)天晴朝出勤せんとて驛に赴くに人身事故にて電車プラツトフオームに停り居れり。余座を占めて讀書すること一時間余、遂に電車動く。其の間に小中陽太郎著『翔べよ源内』を讀了す。同書は此の夏にM先生に薦められしものにて、風來山人平賀源…

骨董市と例會

十一月十七日(日)晴 七時半起床、臨書の後朝食。九時前家人と家を出で有樂町へ往く。十時過ぎより大江戸骨董市を見て廻る。來年三月まで休市となる由。其のせゐではなからうが、思はぬ安価にて得たるもの多し。余は堆朱の銘々皿、蟹の金工蓋置などを購ふ。一…

中國絵畫、大雅、是眞

十一月十六日(土)晴 十一時より一如庵にて尺八稽古。晝過ぎ家人と夏目坂にて待ち合はせ中村屋にて親子丼を食したる後地下鐡にて上野に出る。徒歩東京国立博物館に赴く。まづ本館裏の庭園を一巡した後東洋館にて『特別展 上海博物館 中國絵畫の至寶』を観る。…

裏切り者

十一月十五日(金)陰一時雨 今どきはどんな業種でもさうなのだらうが、會社には中途で競合他社から入つて來る者もあれば出て之く者もある。余は大學卒業以來一貫して今の會社に居る訳で、其れだけでも古風な勤め人に屬するのかも知れぬ。だからといふ訳でもな…

椿事

十一月十四日(木)晴 日本の古本屋といふサイトがある。余はネツトで古書を求めるのにアマゾンと此処をよく使ふのであるが、先日註文した本が、発送済の報せを受け取つてから一週間経つのに届かない為問ひ合せたところ、何と同姓同名の他人の処に送つてゐたこ…

鍋開き

十一月十三日(水)晴後陰 富嶽雪を冠して冬景色となるを今朝初めて見る。寒さ續く。會社の職場にて倶に働く若き女性たち、皆聡明にして美しく、可愛きこと限りなし。職場にかくも花あるは幸ひと言ふべし。定時退社、竹を吹いた後入浴。寒さ續きたれば此の冬初…

冬到來

十一月十二日(火)陰晴不定 朝から寒きこと冬に異ならず。此の日朝の夢に歔欷を禁じ得ず。悄然として懐旧し、帳然として己が愚挙愚昧を悔ゆ。改めて、丗に慎むべき身なるを痛感す。目覚めて後の悲痛の情、終日去らず。丗間に對して控へ目に振る舞ふべき事を肝…

歌作

十一月十日(日)陰後雨 例會二日目。寝不足の儘早朝初めて温泉に浴す。午前短歌を作る課題あり。余は竟に其の場の一期一會を詠み込めず、哥ごころの枯渇を感ず。皆で城ケ崎海岸の雄々しき波濤と巌の景色を見た後晝食、更に各自の短歌をO先生に添削、批評して…

ことだま先生宿

十一月九日(土)陰 東海道線を乘り繼ぎ晝過ぎ伊東に至る。晝餉を餐して後驛前よりバスに揺られM倶楽部例會に向かふ。當代随一の歌人を迎へ其の語りに耳を傾けたる後伊豆高原の宿花吹雪に移動。余は風邪氣味なれば温泉に浴さず、夜語りに備ふ。夜も亦心に染み…

においとことば

十一月八日(金)晴 午後戸田に赴き蕨市にある生協連合会商品検査センターに往く。所内見学の後異物異臭分析勉強会にて余が「においとことば−分類と表現をめぐって」と題する講演を行ふ。においかおり環境学会誌に寄稿せし内容をもとに話す。興味を持つて聞い…

中学再び

十一月七日(木)雨後陰 中学に再入学することになった朝、どうやっても遅刻は免れぬ時間となり、やむなく自転車で登校する。案の定すでに始業時間を過ぎて到着。自転車をどこに置けばいいかもわからないし、何組に編入することになったのかも聞いていなかった…

火山と盃洗、新居

十一月四日(月)陰後雨 九時半家人と家を出で鎌倉に向かふ。京浜東北線車中にて偶然M氏に会ふ。昨日横濱骨董ワールド會場のパシフイコ横濱にて遭遇したる際此の日倶に映畫に行くことは約せしが、電車やまして号車までは指定せざれば奇遇と言ふべし。鎌倉より…

野球シーズンの終り

十一月三日(日)陰 樂天の予想外の優勝により今年の野球シーズンが終了した。百六十球投げた翌日の田中の登板には驚かされた。未だ高校野球と同じメンタリテイで野球をしてゐて果たしてプロと呼べるのか。メジヤーリーグのスカウトならずともクレイジーと嘆息…

不面目

十一月二日(土)陰、寒し 此の日は本來職場の若手を引き連れ早慶戰の観戰に神宮に赴く筈なるも、目覚めて寒気あり、微熱もあれば自重して不参加の旨伝へる。言ひ出したのが余なるに風邪を引いて不参加は面目なく申し訳なき事也。終日蓐中にあり。夜野球を観る…

感冒

十一月朔日(金) 此の日甲斐荘楠香に関する情報の交換の為K氏に会ふ。面白き話多く、得る処多し。歸宅後俄かに喉痛み悪寒を覚ゆ。早めに寝に就く。

同仁斎と櫻谷

十月三十一日(木)陰 午前中京都市内で用談の後午後の訪問が先方の都合で無くなつたので、銀閣寺を訪ねることとす。東求堂公開中なれば余は初めて拝観す。境内修學旅行の生徒や外國人などで賑ふものの、拝観料仟圓が効いてゐるのか、二十分毎の案内附きで東求…

銅駝と難波

十月三十日(水)晴 早めに家を出で新幹線にて京都へ往く。時間があつたので旧京都舎密局跡地を訪ねる。現在は銅駝美術工藝高等學校にて壁面に由来を記す看板有り。遥かに明治の昔を偲んで鴨川沿ひを歩き、三条より京阪に乘り京橋で環状線に乘り換へて森之宮に…

茶會と稽古

十月二十七日(日)晴 三日續けて夫婦で着物を着て車で上大岡にある神奈川県戦没者慰霊堂に往く。すぐ前のコインパーキングに停め、平和祈念館にて開かれる戦没者慰霊献茶に伴ふ茶會に参加。まづは東安部流の煎茶席に入る。家人の煎茶道の先生と一緒なので心強…

着物と酒

十月二十六日(土)雨後陰 雨が止めば早くに家を出でて淺草を歩むつもりなれど中々上りさうになく、待つうち昼過ぎになつてやつと明るくなり始め、天氣豫報も颱風の逸れたる事を告げれば竟に着物を着け始む。家人は昨日と同じ藍染、余は今日はお召に羽織。其れ…

極上の一夜

十月二十五日(金)陰後雨 半休して午後家に帰る。眠け強く一時間弱寝てから起きて着物に着替え、家人が帯を結び直すなど予定より遅くなったが三時過ぎ出発。藤沢より小田急に乗るも電車の連絡悪くさらに予定より遅く、五時半に豪徳寺着。雨の中徒歩ISIS本拠地…

優勝

十月二十一日(月)晴後陰 此の日樂天がパシフイツク・リーグ優勝を果たす。樂天も三木谷も星野も大嫌ひだが、東北のチームといふこともあり、田中や嶋など好きな選手も居るので喜ばしい事である。それにしても今年のマー君の活躍ぶりは、マンガでも今では流石…

雨中例會

十月二十日(日)雨 雨の中一升瓶と二尺三寸管を提げて一如庵に赴く。來月の虚無僧研究會にて如道會として布袋軒鈴慕を吹くことになる。四時過ぎより例の如くに酒席となり、持参の黒牛を呑む。そのせゐかいつもより呑み過ぎて酔ひが廻る。六時過ぎ如覚や諸先輩…

茶事、新内とおでん

十月十九日(土)陰時々雨 此の日は着物にて出掛ける予定なるも天氣豫報頻りに雨を告げれば、迷つた末竟に洋服にて出づ。九時半町田の家人の實家に行き、まづ余が中置の点前で薄茶を点て、門人來りて稽古の間余は学会誌の原稿校正を為す。また、午前中呉服屋の…

痛飲

十月十七日(木) 六時より藤沢昇久にてK氏と飲む。おから、焼き牡蠣、さんま塩焼き等旨し。生ビールの後銀盤を二人で五合、それからバー・ベルーガに場所を移してウヰスキー二杯飲む。最近では澤山飲んだ方で、流石にかなり酔ふ。K氏は余の上司なるも酒の席…

茶話會

十月十四日(月)晴 六時半起床、近くの川沿ひの道を薄を求めに歩くも姿良きもの少なし。南天の葉の少し色づきたる、姿良きものを得て歸り、まづは床の花を生ける。岳母より昨日杜鵑、藤袴始め吾亦紅など幾つかの茶花を頂戴したのでそれと合せることにするも、…

黄檗の寺

十月十三日(日)晴 車にて岳母、家人とともに小田原は入生田に在る黄檗宗の紹太寺に往く。途中道路の澁滞甚だしきものあり。煎茶道東阿部流の茶會に参席。外では虚無僧姿の五人ばかりが尺八を吹奏するのに出くはす。珍しき事也。松琴楼にて鰻重を遅い晝食とし…