花鳥風月

かをりをりのうた 6

十二月十五日(火)陰時々晴 にほひ來るまくらに寒き梅が香に暗き雨夜の星やいづらむ 藤原定家〜詠百首和歌 早春のまだ寒い夜ふけ、枕邉に梅の香りを感じると、一輪一輪と咲く白梅のすがたが目に浮かび、それが雨で月を見ることのなかつた夜空に新たに生まれ出…

私淑

十一月二十四日(火)陰 楠見朋彦「塚本邦雄の青春」讀了。若き日の邦雄の足跡を追つたもので面白く讀む。「菊帝ー小説後鳥羽院」も讀み了へた。もつと多くの人に讀まれ、もつと小説家としても評価されるべきだと思ふ。短歌の人たちだけの讀み物では勿軆ない。…

蕎麦尺八茶事

八月二十三日(日)晴後陰 町田の蕎麦屋Kに行き蕎麦會席の會の茶事を手傳ふ。蕎麦を食し尺八の演奏を聴いた後抹茶を飲むといふ趣向で岳母と茶名を持つ家内が茶事を担當、余が点前を爲す。尺八は都山流の工藤煉山氏が本人作の曲や西洋音樂のポピユラー曲を吹く…

嶺庵茶話會

五月六日(水)晴 會社の元上司H氏、同僚S氏を迎へ久しぶりの茶話會を開く。一時半鎌倉のH氏邸にS氏と車で迎へに行き二時前來着。煎茶、聞香、薄茶、吹禅の後懐石となり、黒牛吟醸酒にて酒食と歓談を樂しむ。九時半過ぎ散會。樂しい一日となつた。尚、此の…

名香鑑賞會

五月三日(日)晴 宿にて和服に着替へ車にて名古屋市内徳川美術館に赴く。名香鑑賞會に参席する爲也。九時半受付に行くもほんの僅か遅れて第二席となれば、待つ間まづ徳川園を散策す。十一時前より山ノ茶屋にて薄茶席に入り喫茶。岡谷家旧蔵黒織部の沓茶碗を見…

雑感

四月二日(木)晴 なるほど 春の高校野球が終わつた。決勝まで進んだ北海道の東海大四高に韓国名の選手が何人か居て、あれと思つた。そして、あらためて大學名を思ひ出して納得した。日本海大學ではなく、「東海」大學だから野球留學出來たといふ訳であらう。 …

伊豆の櫻

三月三十日(月)晴 昨日より西伊豆戸田にて湯治。今日は松崎に往く。富士と櫻を觀る事繁し。寫眞を以て其の間り消息を伝ふ。松崎にて佳き出會ひあり。今後の甲斐荘楠香研究に資する處大なる事を期す。 富士 山と川と櫻 菜の花と櫻 櫻の小径

象山の書

三月二十三日(月)晴、寒し 松本健一著『佐久間象山・下巻』讀了。幕末の思想や政局を知る上での新たな視点を與へられた感あり。象山先生への畏敬の念を更に強くす。又、余得としては、此の書を讀んで吉田松陰を前ほどには忌み嫌はなくなつたといふ事がある。…

しやうざんさんざん

三月八日(日)陰 朝食は十七階の和洋食のバイキングで取り、荷物をまとめてフロントに預けてから出發。市役所前から地下鐡で太秦天神川に赴く。パリの美術學校すなはちEcole des Beaux-Artsの作品が展示されてゐるので見に行つたのである。壁面に飾られた作品…

宗達の牛

三月六日(金)陰晴不定 朝いつもより早めに家を出で新幹線にて京都に向かふ。驛からタクシーで京都ホテルに入り、荷物を預けた後徒歩鴨川を渡り頂妙寺に到る。冬の京都の特別公開にて勿論余も初めて也。俵屋宗達ゆかりの寺とて、たらしこみの技法を効果的に使…

煎茶五流

十月五日(日)陰後雨 昨日に續いて着物を着て九時前宿を出る。驛ビルにて晝食を購ひて後、徒歩渉成園枳殻邸に赴く。先日會食せしI氏夫人が属する煎茶道流派も席を出す、互流會の茶會の會場である。十時からの開始なるも颱風も近づく事なれば、出來う限り早く…

京都満喫

十月四日(土)陰 九時過ぎ宿を出で徒歩御池通りから小川通りを上がつたМ染工にお邪魔する。匂ひ關係で懇意にして戴いてゐるT氏の御令妹の婚家にて、友禅その他各種染物を生業とする老舗也。T氏のご紹介により初めて訪問するものにて、着物好きの余等に江戸…

二日目

十月三日(金)陰晴不定。暑し 七時半余ひとりにて宿を出で三条通りを東進、途上進々堂にて朝食を取り京阪電車でなにわ橋まで往く。九時過ぎ中之島圖書館に着く。電話にて予約せし書物を借り出し閲覧、必要箇所を複寫す。木村蒹葭堂に關する史料也。其れから京…

仙洞御所

十月二日(木)陰 朝七時過ぎ家を出で新幹線にて京都へ。着いてまず驛の京都総合観光案内所に行き着物パスポートを貰ふ。それから烏丸御池の定宿に往き荷物を預けてから尾張屋まで歩き早めの晝食。余はざる蕎麦、家人は利休蕎麦を食す。相変はらず美味也。夷川…

米色青磁

九月六日(土)晴 十一時より一如庵にて稽古。其の後上野の國立博物館に往く。一時半から青磁に就いての講演『日本人が愛した官窯青磁と横河コレクションについて』及び『米内山陶片と米色青磁』を聞く。官窯に關する話や青磁と米色青磁が土も釉薬も同じである…

眼福

八月朔日(金)晴後雨 會社を休み午前通院。午後家人と上野の國立博物館に赴く。台北・故宮博物院「神品至宝」展を觀る。汝窯の青磁、王羲之、徽宗帝の書と進んで、割と直ぐに蔡襄以下の宋の大家の書に至る。黄庭堅の三点に到つて足が止まる。草書花氣詩帖頁は…

田原

七月二十日(日)晴時々雨 朝宿を発ち渥美半島田原市に赴き田原城址、同博物館、崋山神社、池ノ原会館等を訪ふ。崋山が蟄居し最後には自刃して果てた池ノ原の地にある全樂庵にて抹茶を喫して崋山を偲ぶ事頻り也。 博物館では、松林桂月の師野口幽谷が崋山の弟…

普及版を望む

七月十八日 高橋箒庵の日記『萬象録』を讀んでゐる。慶応義塾で福翁の知己を得て時事新報の記者となり、欧米に遊んだ後三井に入り三越の近代化などに辣腕を振るつたものの、五十で事業から退いてからは茶の湯を中心とした趣味に遊ぶことを専らとした、明治大…

かへしふみなし

七月十一日(金)晴 或る大學にて准教授を勤め給ふ濱崎某といふ御仁に香木の銘につき教へを乞はむとて禮を尽したる文を送りしところ、何とても音沙汰かへりふみもなく過ぎぬ。嘗て同じく香りにつき鹿島某なる教授に文遣りたることありしが、同じく反古にして捨…

一覧表

七月八日(火)晴後陰 松岡先生は年表を作れと言ふ。分野やジヤンルを横斷する意外な関りに氣づき、より大きな時代理解につながるからであるらしい。余も幕末から明治・大正までの、香料や石鹸業界の年表は作りつつある。これはまあ、壮大な計畫で少しづつ進め…

悦讀

七月六日(日)陰 高橋箒庵の日記『万象録』の大正七年の部、そして『東都茶會記』の同じ時期に書かれた第四巻を併行して讀む。此の年は水戸徳川家、稲葉家、近衛家などの蔵品売立があり、箒庵が奔走する様や船成金の動向など分かつて面白し。最近、鳥渡妙な事…

版本寫本

六月二十五日(水)晴後陰時々雨 余の誕辰也。航空會社二社と銀行から祝のメール届く。 此処數日香道関係の調べ物のため版本や寫本の類を讀んでゐる。群書類従に収められた名香録や『五月雨日記』等である。香銘と其の典拠となる和歌の関係、更に其の香木の香…

大江戸江戸明治

六月朔日(日)晴、暑し 午前大江戸骨董市に赴き、澤蟹の飾り物及び小さな木製の花台を購ふ。其れから上野に出で人混みの中、國立博物館に往く。新収品展示室にて是眞の水墨画を見る。其の他本館内を観覧し、没倫紹等賛一休和尚像、高村光雲作老猿等、美術史上…

横櫛と宝石

三月十五日(土)晴 余は縮緬の縞の着物に茶の帯、家人は大島に刺繍の入つた博多帯にて九時半出発。電車を乘り繼ぎ半蔵門に至り、徒歩國立劇場に十一時過ぎ到着。チケツトセンターにてチケツトを発券して大劇場に入る。晝食を早めにとり、十二時より三月歌舞伎…

畫壇

三月十二日(水)晴 近藤啓太郎著『大観傳』讀了。大観を知るとは要するに天心を知る事に他ならない。天心について改めて興味を抱いたのと同時に、観山や春草との関係もよく分かつて得たものの多い讀書であつた。文展や院展、二科展の関係や経緯も分かり近代日…

吉祥寺六義園競馬香

三月九日(日)晴 着物にて家人と外出。まず本駒込にて地下鐡を降り徒歩吉祥寺に赴く。甲斐荘楠香及び甲斐荘家の墓に詣づ。楠香の妻彦も此処に葬られてをり、其の短い生涯に興味を持ち調べてゐるので其の報告の意味があつた。其れから六義園に行き園内散策。ず…

奈良の雨

三月朔日(土)陰後雨 睡眠不足氣味ながら八時過ぎ宿を出で京都より近鐡にて奈良に赴く。十時過ぎ御一行到着し、車五台に分乘して唐招提寺に赴く。拝観の後興福寺近くの菊水楼に戻つて晝食をとる。美味也。其の場に神先生九州より到着し、午後は大和文華館に行…

山水癖

一月三十日(木)陰後雨後陰 大室幹雄『志賀重昂『日本風景論』精讀』讀了。日清戦争前後の日本の文学の状況を理解するのにこれ程の好著はないと、讀む前に此の本の題名から誰が想像し得やうか。山水癖とも呼ばれる、江戸期から續く漢詩文における風景や風雅を…

果實

一月二十五日(土)晴、暖し 昨夜就寝が遅く八時半過ぎ起床。入浴の後外出。早稲田に出で晝食の後一時より一如庵にて尺八稽古。三月の如道忌で余は流し鈴慕を吹くこととなる。二時に終り早稲田通り沿ひに神樂坂方面に果物屋を探して歩くも見つからず地下鐡と東…

前夜祭

一月二十四日(金) 會社を一時間ほど早退し、豪徳寺本樓に赴く。松岡正剛先生の古希を祝ふ前夜祭也。きもので行く事も考へたものの會社歸りでもあり諦めたのだが、それにしてもうつかり普段着に近い恰好でしかも汚れた靴を履いてゐたこともあり、男女ともに和…