文人憧憬

備忘録

五月三十一日(土)晴、暑し 圖書館にて數書を借りて歸る。内一冊の『激動期の美術』より柴田是眞に触れた「漆中筆あり」を讀む。是眞の墓の淺草今戸称福寺にある由を知る。又、是眞の弟子泰眞と鏑木清方一家の親しかつた事、是眞が京遊学中、香川景樹に歌を学…

此の頃の生活

五月二十三日(金)晴後雨後晴 朝六時起床。洗顔の後嶺庵に移り坐禅一炷、さらに臨書。半紙三枚、各六文字なれば計十八字を書く。相變らずの黄庭堅である。筆を洗ひ終はれば既に七時。玄米粥に澤庵梅干の朝餉を摂り、其の後入浴。頭髪を整へ歯を磨き服を着替へ…

掃苔の會

三月二十四日(月)晴 會社を休み八時半家を出で一如庵に赴く。十時半より尺八稽古。其の後神先生と鶴巻町キヤトル・フオンテーヌにて午餐。更に倶に早稲田より都電にて雑司ヶ谷に到る。文人墨客の墓を廻る第二囘掃苔の會にて、待合せの都電停留所脇に参ずる者…

アレグラ・ジエネリツク

三月八日(土)晴 朝久し振りにゆつくり寝てゐやうと思つてゐたが、結局七時半に起きてしまふ。晝食の後杉田の病院に行き例年通り花粉症の薬を貰ふ。他は特に予定もなく、此の春部長に昇格するS君の為に記念の色紙を揮毫す。また、よく尺八を吹いた。二尺一寸…

スピンオフ

十二月二十六日(木)陰時々雨 定時より一時間前に退社し新橋に赴く。SL前にて特定秘密保護法廃案を求める署名を為す。同所にて未詳の會員S氏、並びに同じく會員ながら今まで面識のないM氏と待合せ、六時半に居酒屋黒船屋に入る。此の日新橋はサラリーマン…

中國絵畫、大雅、是眞

十一月十六日(土)晴 十一時より一如庵にて尺八稽古。晝過ぎ家人と夏目坂にて待ち合はせ中村屋にて親子丼を食したる後地下鐡にて上野に出る。徒歩東京国立博物館に赴く。まづ本館裏の庭園を一巡した後東洋館にて『特別展 上海博物館 中國絵畫の至寶』を観る。…

同仁斎と櫻谷

十月三十一日(木)陰 午前中京都市内で用談の後午後の訪問が先方の都合で無くなつたので、銀閣寺を訪ねることとす。東求堂公開中なれば余は初めて拝観す。境内修學旅行の生徒や外國人などで賑ふものの、拝観料仟圓が効いてゐるのか、二十分毎の案内附きで東求…

大江戸・淺草

六月二日(日)晴 少し前まで天氣豫報では雨模様の筈が晴間が差し豫報にも降雨の可能性低ければ金曜に届きし結城紬の着物を着て家人と外出。まづ有樂町大江戸骨董市に向かふ。黒檀の印矩、風鎮、煤竹の茶杓、手拭等を購ふ。其れから小洞天にて晝食。日比谷まで…

竹・神・露伴

六月一日(土)晴後陰 昨夜大して飲んだ訳でもないのに朝眠気と頭痛あり。入浴して九時前家を出で十一時より一如庵にて尺八稽古。大和樂、布袋軒鈴慕、流し鈴慕、松巌軒鈴慕と三鈴慕をさらつた後時間が余つたので瀧落を一緒に吹いて戴く。辞して地下鐡を乘り繼…

昔年帖

五月二十九日(水)陰時々雨 歸宅後徒歩圖書館に赴き『知られざる名品シリーズ5 米芾』(天來書院)を借りて歸る。二玄社の法書選や「書道藝術」の米芾のものは持つてゐるが、それらに漏れた辨法帖、昔年帖、研山銘などを収めてあるので借りてみたのである。各…

三つの到着

四月七日(日)晴風強し 此の日待ち望んでゐた三つの荷物が届いた。ひとつは『宋四家字典』。二玄社刊で、ずつと欲しかつたのだが、版元品切とのことで思ひ切つて古本で買ひ求めたもの。宋四家とは言ふまでもなく、蘇軾、蔡襄、黄庭堅、米芾を指す。此の四人の…

雨風強し

四月六日(土)陰後風雨 朝驛に行くと乘るつもりであつた電車が運休にて十分以上待たされ、横濱の乗換へも今囘西早稲田で降りやすいやう後ろの車兩に乘るためいつもと違ふ経路で進むに、思つた以上に歩かされた挙句東横線は途中まで座れず。西早稲田から一如庵…

邦楽と木石花

三月二十三日(土)晴後陰 初めて東横線からそのまま副都心線に乗り入れ西早稲田で降り、徒歩一如庵に赴く。徒歩二十分ほどかかるが、それでも今までの行き方よりも早い。今後はこの行き方にしようと思う。十一時より尺八稽古。十二時辞していつもの夏目坂の吉…

大江戸

三月十七日(日)晴 未明、突如腹痛を感じて目覚め厠に呻吟する事小半刻。年に數囘かういふ事がある。下痢になる訳だが痛みに體を支えてゐられない程になる。其の後治まって再び眠る。朝早めに出掛けるつもりであつたが九時まで寝て予定が狂ふ。起きて臨書の後…

書茶竹診察券

三月十六日(土)晴 早朝肩痛み眠られず。起き出して米芾の臨書。晝過ぎ家人と車で出で家人の實家に赴く。茶の湯稽古。櫻餅にて濃茶を喫す。茶道具と曜変天目に關するNHKの番組二本を録畫にて観る。夕刻尺八練習。松巖軒鈴慕を繰り返し吹く。夕食後歸宅。書…

臨書

三月四日(月)陰後晴 毎朝二・三枚の臨書を續けて久しいが、黄庭堅、王羲之、張廉卿を經て今は米芾をやつてゐる。書としては黄庭堅のものが好きであのやうな字を書きたいと思つてゐたが、今囘米芾を臨書してみて、實は此方の方が遙かに模しやすく書いてゐても…

日記抄 

二月二十八日(木)晴 今會社の往き返りに澁澤龍彥の『私の戰後追想』といふ本を讀んでゐる。全集から河出書房の編集部が選んで編んだ文庫本で、囘想や身辺雑記風のエツセイ集である。澁澤の本を讀むのも久しぶりであるが、文學や美術に関する文章と異り、露…

文茶

二月十六日(土)晴 米芾の尺牘を半紙三枚臨書した後、午後三時まで某所に依頼されし原稿を認(したた)む。午前中にアマゾンより五冊本が届く。それらと原稿の資料に書棚より取り出せしギリシアローマ神話辞典などの書籍机上に山積す。ほぼ書き終へて車で家人の…

竹・王・漆・駆

二月九日(土)晴後陰 十一時より一如庵にて尺八稽古。大和樂、布袋軒鈴慕、流し鈴慕曙調子の後初めて松巌軒鈴慕に入る。竹調を繰り返し稽古。十二時辞して昼食の後上野に向かい、徒歩東京国立博物館に入る。程なく家人も着き、倶に書聖王羲之展を観る。中に入…

王羲之

二月七日(木)陰 車で出勤。定時退社しそのまま町田のN子実家に行く。丁度岳母とN子が戻った直後に到着。直ぐに先週土曜にNHKで放映された王羲之に関する番組の録画を見る。この中に我らが一如庵が出てくるのである。書家石川九楊が女優に書を教えるシー…

千字文卒業

一月六日(日)陰 午前中日課の習字を為し、遂に張廉卿楷書千字文を終える。一日二枚十二文字をこつこつ積み上げてやっと辿り着いた訳である。明日からは『書論』という雑誌に載った同じ張廉卿の行書を手本に続ける予定である。 昼前電気工事店が来て、先日購…

平岡的 

十二月二十九日(土)晴後陰 平岡正明『浪曲的』読了。う〜む、参りやした。平岡の兄イ、お見それしておりやした。お見事な筆さばきでござんす。遅ればせながら、はばかり、このあっしを子分の末席に加えてやっちゃあくれませんか。お願えいたしやす…とまあ…

苗字の分類 

十二月二十七日(木)晴、極めて寒し 苗字の分類を考えた。含まれる苗字の核となる字による分類だ。例えば「田」。米の国らしく恐らくこれが、苗字の種類としては一番多いのではないか。田中、和田、川田、山田、村田、町田…といくらでも挙げられそうだ。「…

小田原 

十二月二十四日(月)陰時々晴 十時車で家を出て十一時前に小田原誓願寺に着く。家人の実家S家の菩提寺である。程なく岳父母、義妹も到着し、倶に墓参。それから蒲鉾の丸う、薩摩揚げの佐倉、さらに外郎本舗と小田原の王道とでも言うべき店で買物をしてから…

雨瀟瀟

十二月二十一日(金)陰 昨夜草森伸一著『荷風の永代橋』讀了。續けて荷風「雨瀟瀟」を讀む。薗八節についての言及があるので有名だが、要するに妾宅に纏はる身辺雑記にも似た小品である。この作品の収められた新潮文庫は架蔵してゐるが、新字新仮名であるのと…

墨をこぼす 

十二月十四日(金) 定時に退社し家に帰り、尺八の練習をしようと文机上の墨池をどかそうとして手が滑って落とし、中の墨液が畳や床にこぼれた。その後始末に小半刻を費し、練習時間が減ってしまった。我が家では毎朝半紙二枚の習字をするのがここ半年程の習…

清澄永代橋今戸心中

十二月十二日(水)晴 今日からしばらく口語に近い文体に戻すことにする。漢字送り仮名も当用を使う。と言うのも発行の遅れている飄眇亭通信を書くのに、少し通常の文体に戻すための慣れが必要だと思えてきたからである。この日乗の文体で書くことに余りに慣れ…

観潮梅川

十二月八日(土)晴 十時より一如庵にて尺八稽古。流し鈴慕、一閑流六段を一尺八寸で吹く。早稲田驛より地下鐡を乘り繼ぎ東大前に至る。改札にて家人と落合ひ農學部の脇青年の道を辿り千駄木に進み、漱石旧居跡を見て後観潮楼に到るも未だ晝食をとらざれば団子…

晩秋好日 

十二月五日(水)快晴 大船から座つて京濱東北線にて上野まで、其処で山手線に乘り換へ巣鴨に至る。十時の約に十分早く着くも既に兩先生及びS田先輩の姿あり。四人にて徒歩染井霊園向かふ。冬晴れの陽光降り注ぎ遮るもの無き日向の多き墓地は思ひの他暖かし。…

予告の實現

十一月十五日(木)晴 昨日記せし古裂會の落札不落札の顛末につき纏めたので下記に掲げる。 不落札顛末記 京都に古裂會といふ会社があつて年に數囘骨董品のオークシヨンを主宰してゐる。ぶ厚いカタログが送られて來て、それを見て期日までにフアツクスで入札を…